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無垢な檜の座卓の上で、温かな湯気がたっている。天板に浮きあがる年輪を見るだけでも、切りだされた檜が如何に価値のあるものかが分かるが、それでさえ雲雀にとっては特別視する理由にはならなかった。

絹交織紬であつらえられた八端判の座布団の上、場所も気にせず、雲雀は相変わらず冷やかな――傲岸、ともとれる表情を崩さない。普段の長着よりもスーツでの正座は膝がつっぱって不快さが増す。だがそれを口にすることは雲雀の性格上、あり得ない。態度で出すことはあっても、だ。

閉ざされていても、三方の障子からは明るい陽光が降り注いでくる。離れに、と通された和室だが、この屋敷では離れの概念が違っているのだろう。少なくとも雲雀の生家で、雲雀に与えられた離れとは規模が違う。はじめから応接間として利用することを考えられているはずだ。母屋の応接室に通ったこともあったが、母屋に漂う殺伐とした険呑さがないところをみると、屋敷の主である組長が私的に客人を通す部屋であることがうかがえた。

襖向こうの廊下に控えている草壁の気配以外、生き物の気配がない。普段ならば好ましい静寂は、しかし、表に出さずとも急を要している現状にあっては、雲雀の気を引くことは出来なかった。

だからこそ、のんびりと出された茶に手をつける気がおきない。

「……」

一度、目を閉じる。再び開いた漆黒の瞳、切れ長の眦に怒りが乗る寸前、ようやく待ち臨んだ足音が聞こえた。

広い歩幅だ。重みがある。重厚なそれが、いつでも騒然としている母屋を黙らせる効果があることを承知で、雲雀は口を開いた。

「少しは急いだらどう? 僕はずいぶん待たされたと思うけれど」

「口の減らねえガキだ」

「減るものでもないし、増えるものでもない」

挨拶もなく出迎えた雲雀の一言に、屋敷の主は鼻を鳴らした。ひどく体格の良い偉丈夫だ。網代模様の袷に羽織。自分が着るときとずいぶん印象が変わる。仕方ない。背丈こそ伸びはしたものの、雲雀の体格は、華奢とさえいえる。細身のどこに、ボンゴレ随一の破壊力を秘めているのか、10年も昔から首を傾げられ続けてきたことだ。

憎まれ口などどこ吹く風で後ろ手に障子を閉めた男は、口端を釣り上げる笑みを浮かべた。

「増えねぇはずのその口が、今日はやけに嵩を増してるみてえだが」

「いつもどおりだよ。あなたとそこまで親しくなった覚えはないね」

「親しくもねえガキが図々しく客面でここに座ってりゃあ、世話がねえな」

雲雀の対面に腰を下ろした男は、両頬に走る特徴的な傷を撫でる。計6筋の引き連れた傷痕。端整と呼べなくない男の顔に迫力を与えているのが傷跡だけではないことなど、彼を知るすべての人間は良く理解している。もちろん、雲雀もだ。

「伊達臣人。あなたに訊きたいことがある」

たった一代にして広域指定暴力団・関東極天獏連合をつくりあげた男は、改めて視線を寄越した雲雀の前で、鷹揚と太い首を鳴らした。

「用がなけりゃ出向きやしねえだろ――なんて茶化してやる余裕もねえようだな」

「あいにく遊んでいる暇はないからね」

「偉いことになったらしいな」

「……分かってるなら、話は早いね」

男の手が、予め用意されていた湯のみを鷲掴む。袖からちらとのぞいた手首の刺青が視線の端を掴む。だが、寄り道をするだけの時間はない。

「答えて。伊達臣人」

「――」

「あれは、何なの」

空とぼけるでもなく、男は湯のみを傾けた。

雲雀は視線を逸らさない。

一か月前、この同じ場所でそうしていたように。

一瞬、風音が強くなった気がした。外を吹いていたのはやけに乾いた風だ。この季節の日本では珍しくもないはずなのに、妙に気に障る。長くミラノに住むようになったため、忘れていたのかだろうか。違う、と雲雀は思う。この風は、違う、と。

生憎と気が長い方ではない雲雀は、男の呼吸を待つ気はなかった。

「一か月前、あなたがここで僕に話したんだ。あなたはただの仏像だと言った」

「――ああ、そう言ったな」

「僕を騙したなら、どうなるか分かっているよね」

「ただの仏像だ。嘘でもなんでもねえ」

伊達と言う人間は武闘派と呼ばれながら、決してそれだけでこの地位を築いたわけではない。詐術も繰れば、話術も巧みだ。雲雀は目を細める。しかし、確かに伊達は虚言を弄しているわけではない。その言葉は真実に違いなかった。

「……あなたも知らなかった、ってこと?」

「あれが、そう、だとはな」

「ああ」

「――あなたが」

「念を押されても答えは変わらねえ。ただ奪られたモンを奪り返すだけの腹づもりだったからな」

伊達が買い取ったある廃寺から、盗まれた仏像。史書に辛うじて残るていどの秘仏と呼ばれたそれは、写真で見る限り、やけに古めかしくさしたる価値があるように思われなかった。特徴があるとすれば、この国のものではないと如実に告げる異国の風貌。ただそれだけの彫像だった。

一か月前、雲雀は、この場で伊達からその写真を見せられた。

「兜跋毘沙門天。東寺や鞍馬寺に国宝がある。それの一種だ」

端的に説明したあと、盗まれた挙句、おそらく、美術品密売のルートに乗るだろう、と伊達は言った。ボンゴレが美術品競売商を行っていることは、伊達も承知している。だからこそ、雲雀が旧知であるのを良いことに、頼んできたのだ。

「奪還しろとは言わねえ。物が出たら、俺が買う。知らせてくれ」

「うちは盗品は扱わないよ」

「何もてめえのとこだけじゃねえ。余所様にだって目ぇ光らせてんだろう?」

「僕を使うつもりなの」

「少なくとも、国外に出ちゃあ俺よりもてめえのほうが勝手が良い」

「……」

「見返りは約束する。手始めに、俺が頭を下げるところから、でどうだ」

傲岸不遜はお互い様だったが、その伊達がやすやすと頭を下げた。そこに興味を引かれた。

世界に散った、不可思議な力を秘めたオーパーツとでも言うべき品々を追いかけ続けてきた雲雀にとって、仏像一尊は好奇心の対象外である。だが腰を上げるには十分すぎる理由だった。

――その話が、一月前。そこから先の出来事は偶然の重なりあいだった。

雲雀にとっては生涯の伴侶と決めた了平が、ボンゴレの仕事を担って中東へ飛んだ。中東で彼らが初めて催す競売の下準備と、現地で問題となっている盗品の密売ルートの対策を行うためだ。タイミングが悪いことに、盗品の件に関してはI.C.P.Oも動き出している、と聞いた了平は、旅支度も慌ただしく機上の人となった。美術商という看板を掲げているボンゴレだったが、実態はマフィアのそれである。法と表だって敵対するつもりはなくとも、I.C.P.O.が掌握した土地で商売を行うのは都合が悪いことも事実なのだ(それに関しては、未だに彼らの首領である沢田綱吉が頭を痛めていることではあったが)。

そして中東で調査を進める了平の前に、こともあろうに盗まれた仏像が売り物として運ばれてきた。

その報せを受けた時点で雲雀は即座に了平と合流するつもりでいた。伊達の依頼を果たせるということよりも、数少ない二人の時間を楽しむつもりだったことは事実だが、よもや、連絡のあった当日に了平が獄につながれたとあっては、そんな余裕もなくなってしまった。ましてや了平にかけられた罪状が、殺人・強盗・密売――冤罪であることは明らかなのに、雲雀は、沢田綱吉によってきつく戒められてしまったのだ。了平のもとに向かうことを。

そして聞かされた。了平は、偶然、何かに触れてしまったのだ。その何かを探って――ボンゴレに、国際刑事警察機構が接触を図ってきたということを。

「僕はおとなしくしているつもりなんてなかったから、ここに来たんだけど」

初めから僕が行けば良かった、と胸中に渦巻く言葉は慎重に押し隠す。了平が雲雀にとってウィークポイントになることを――たとえすでに勘づかれていたとしても――伊達に知られたくはなかった。

「知らなかったとして、今は、知ったんだね?」

「――雲雀恭弥」

「なに」

「正味な話、俺には説明できねえ。……俺の範疇を超えている」

その告白は雲雀の目を見張らせるに十分な威力があった。何もかもを自らの手で掴み、築いてきた男の言葉とは思えなかった。弱音なのだろうか。だが、それとも違う。

白いものが僅かに混ざりはじめた髪を、伊達はことさらゆっくりと撫でつけた。

「だが、あれは俺のもんだ。だから協力は惜しまねえ。向こうには俺よりはるかに事情がわかるやつを飛ばした」

「……むしろその人と話をさせてくれないの」

「いつまで日本にいる」

「僕の質問に答えて」

「いつまでいる」

根比べをしている場合ではないようだ。答えるにも順番が必要なのだと悟れないほど雲雀は愚かではない。

「……決めていないよ。僕は僕の都合で動くだけだからね」

「だったら明日、また来いや。明日には雷電と月光が着く。あいつらなら、てめえの質問に何がしかの答えを寄越すだろう」

「事情が分かるやつは、飛ばしたんでしょう?」

「この件に関して、雷電と月光は飛燕と変わらねえ。安心しろ」

伊達の口から紡がれた3人の人名と思しき単語を、雲雀は口中に繰り返す。覚えておく必要がある。ここを辞したら、即座に調べさせなくてはならない。

結局、手を着けなかった湯のみを一瞥して、雲雀は畳に片手をついた。そのまま立ち上がる。

高見から見降ろすことになった男は、視線の高低になどいっさい、こだわらない様子でこちらを見上げてきた。無言で言葉を促される。おとなしく乗ってやることにした。

「明日、何時に来ればいいの」

「昼前には着いてるだろう」

「菓子折りは持ってこないからね」

「持ってきたことなんざねえだろうが」

無言で雲雀は踵を返した。

乱暴な手つきの割に音のならない襖の開閉が終わる瞬間。

「すまなかったな」

伊達が放った思いもかけない言葉に、雲雀は応えることができず、歩きだした。