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獄寺が今ある地位に就いて、既に数年が経過している。
何か行動を起こすたたび
「うわあ、やめてやめて獄寺君!」
と、敬愛する十代目、沢田綱吉から泡を食って制止されていた過去は遠く、今では
「宜しくね、獄寺君。ごめんね、色々任せちゃって」
などという勿体ないほどの言葉をもらえるまでには成長した。
実際、ボンゴレ十代目ファミリーの嵐の守護者・獄寺隼人といえば、名実ともに綱吉の右腕として、その名を知らない者はいない。
表向き掲げる美術競売商としての経営手腕もさることながら、マフィアとしてのかれがふるう辣腕は、構成員の畏敬と羨望の眼差しを集めるに相応しい。
陽光を弾く銀糸のような髪と、鋭利に研ぎ澄まされた緑色の瞳。獄寺隼人、という日本名を名乗ってはいるが、イタリアの血をしっかりと引いているかれは、痩躯ながら長い手足と、東洋人にはあり得ない等身を持つ。何よりも際立ったその容貌は、女性らしさとは違う繊細な美しさを造作され、異性ならばより一層、同性であったとしても対峙した瞬間に性別の垣根など軽く飛び越えさせる威力を誇る。
十代の少年のころは、己の容姿を厭うきらいにあった獄寺も、自分のそれが有効な武器になると気付いてからは、奥の手とばかりに笑みを披露することがあった。
しかし、今日の相手に対しては、そんな奥の手を使う必要は、ない。
上等じゃねえか、と獄寺は薄い胸の奥でひとりごちた。
何を吹っかけてこられたとしても、受けて立ってやる――冷静沈着な右腕の仮面をかぶってはいるものの、獄寺の根本は鉄火肌だ。取り繕わずに済むのならば、はじめからの喧嘩腰など、望むところでもある。
「ごくでら」
足を組み、両腕を組んで応接ソファに座る獄寺の頭上、甘えたような男の声が降る。
首を仰のかせて見上げれば、雲を突くような大男に成長した山本が、肩をすくめて苦笑を浮かべていた。片目を眇めて、獄寺は口を開く。
「なんだよ」
「いま、おまえ、すっげー悪い顔してたぜ」
「ぁあ? 生まれつきだっつーの」
「ちげーよ。おれの隼人は生まれつきそんな凶悪な顔してねーって」
「そーかよ。だったらてめーはさっさとてめーの隼人とやらんとこにでも行っちまえ」
「おれの隼人はおまえしかいねーよ。だからそんな悪人面しねーで欲しいのなー、って」
頬をかいて能天気に笑って見せた山本に、獄寺はことさら大きなため息をついてみせた。
「おまえはどーしてそう馬鹿なんだ。ほんっといつまで経っても馬鹿だ、野球馬鹿」
「3回も」
「足りねーよ。もっと言ってやる。馬鹿、馬鹿、ば、」
「獄寺」
「……なんだよ」
「緊張、とけた?」
「……」
良かったぜ、と臆面もない笑顔。手に負えない天の邪鬼を身の内に飼う獄寺は、山本から視線を逸らせてち、と盛大な舌打ちをした。
組んでいた腕を解き、ソファのせもたれに鷹揚と広げる。煙草が吸いたい、と思った自分に気付いた瞬間、山本の言うとおり、自分が緊張していたことを悟る。
自分の心の僅かな機微を、本人よりも先に嗅ぎ取る山本に苛立ちを覚えるが、八つ当たりだ。仕方ない。もともと獄寺はみずからの外に関して向ける慧眼と対照的に、自分のことに関してはどうにも客観的ではいられない。十年来そばにいて、いまとなってはお互い、身体の隅々までを知り尽くした山本が、その分、獄寺にこと関しては誰よりも敏くなるのは当たり前といえば当たり前なのだ。公にあたっては十代目の守護者として双璧を成し、私にあってはひとつ屋根のベッドで過ごすパートナー。ゼロ距離の関係性は頼もしく、心強いものだったが、時としてひどく厄介だ。獄寺が育んできた右腕としての仮面を、いともたやすくはぎ取ってしまうから。
もう一度獄寺が視線を向ければ、ボディガード然として獄寺の背後に立ったまま、山本はにか、と笑う。
「ばぁーか」
「え、またそれ? ひどくね?」
「今日は、せいぜい悪人面で構わねーんだよ」
話を蒸し返したのだと山本が気付くまで一呼吸。戦場に立てば敵う者のない修羅と化す山本が、ふだん、こんな呆けた――抜けた、と獄寺は評したいところだが――男なのだと知れば、敵対して屠られてきた数々の相手は、どんな思いを抱くだろう。
「もっと早くに出てくるかと思ったぜ」
「……あ、インターポール」
「遅ぇ」
「わり」
「公的機関の腰が重いのは、今に始まったこっちゃねーけどな」
事件の兆しは、既に一か月前に始まっていた。
ここのところ落ち着いていた国境をまたいだマフィア間の抗争。ローマ法王の交代劇を機に活発化したそれは、まるでボンゴレだけには気付かれないように、水面下で着々と事を推し進められていたようだ。
各地で報告されるオーパーツ――本来、かれらマフィアが秘宝として管理しなくてはいけない、世界各地に散在するそれらの、発見報告の数々。同時に長年をかけて排除してきた武器、麻薬、人身売買といった、あらゆる密売ルートの復活。乾燥した重苦しい風が吹き始めたころ、それらははっきりと何かが起きている、という形でかれらの目の前に横たわっていた。
「ひとつひとつ潰してっても、モグラ算みてーだもんな」
「ネズミ算」
「それだ」
「使い方違ぇし。『塵劫記』くらい読んどけよ」
「ご……ん??」
「じゃなきゃ『非ヨーロッパ起源の数学』。本棚にあっから」
「お、おう」
2人のアパルトメントに戻るころに山本がそれらを記憶から排除している確率を100%と予測しながら、果たして、いつあの部屋に帰れるだろうか、という疑問が浮かぶ。
「ちなみに正解は?」
「芋づる式」
「あー、そうそう、それな」
ひっきりなしに続出する問題。芋づる等と言う言葉で片付けてしまうには、多すぎた。流石に飽和寸前だ。
「でもケーサツと話つけられんなら、笹川兄も釈放されんじゃね?」
「――あの芝生頭は十年くらい冷や飯食って頭冷やした方がいい」
「そう言うなって。笹川――もう笹川じゃねーけど――心配してたぜ? ツナも」
「十代目に迷惑かけやがって、あの野郎!」
決め手を間違えた、と山本は頭をかく。
頻出していた事件が、すべてはひとつにつながるかもしれないと、そう、かれらが気付くきっかけになったのは、ひとえに笹川了平の逮捕劇があったからなのだ。今では十代目の正妻となった笹川京子の兄であり、守護者の一翼でもある了平の冤罪逮捕は、一報を受けた時、ボンゴレ中がひっくり返るような大騒ぎになった。何よりもボンゴレとしての活動を好まない雲雀が、その名を使ってでも了平を保釈させようと本部を訪れたほどだ。後になって知ったが、事件の発端は雲雀が持ち込んだ案件だったというのだから、あの慌てようも十分に理解できる。傍若無人、傲岸不遜を絵に描く雲雀は周章した直後「この僕をこんなに動揺させるなんて、ゆるさない」と感情を怒りの一点に収縮させたが、雲雀の思うままに行動を許すことは、今回に限って、出来ない相談だった。
獄につながれて半月以上は経つだろうか。了平に危害が及ばぬよう手を回してはいるものの、ボンゴレ――加えて雲雀の個人的圧力を以てしてもまだ釈放に至らぬ事実は、事の大きさを物語っている。
そのさなかの、I.C.P.O.からの極秘裏の会見要請。
同じルートを追っていたことも承知のうえで、ボンゴレ十代目ファミリーを、と名指しで舞い込んだ話を受けざるをえなくなった、それが、今日なのだ。
「何の話しなんだろーな」
ぼそっと山本が口にした。
「さあな。うまい話には思えねえが」
「……」
「それを見極めんのがオレらの仕事だ。――易々と十代目に会わせるわけにはいかねぇからな」
気ぃ引き締めて行けよ、と裏手で腰のあたりをはたいてやれば、山本は子どもの仕草で顎引いた。視線だけに、子どものものではない光を称えたまま。
象嵌細工の柱時計は間もなく約束の時間を示す。
「獄寺」
先ほどとは違う声音が呼ぶ。なんだ、と振り仰いだ一瞬、大きな影が覆いかぶさり、即座に離れて行った。
唇に残る微かな感触。
場違いに、いたずらに、けれど獄寺にいつでも力を湧き起こさせるキスをひとつ落とした山本は、何事もなかったように、言った。
「なんとかなるって。今までだっておれたち、なんとかしてきたじゃん?」
照れ隠しに「馬鹿」と何度目かの雑言を贈ってから、獄寺は、心に生まれた余裕を確かに感じ取り、来客を迎えるために居住まいを質した。