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The pure and the tainted
Fifth act.
胡桃で磨かれたオーク材のカウンターテーブルのうえを、天井近くに設置されたテレビから流れる、
気ぜわしいアナウンサーの声が滑って行く。
『逮捕直前に自殺した故ジョバンニ・フェロー容疑者に対して、今度は脱税の容疑が加わりました。
続々と暴かれる巨大企業の闇はまだ底が知れません。
フェロー兵器工業は合併吸収によって長年の歴史に幕を閉じますが、
新たな経営陣は、こうした暗部をすべて整理することに依って、
約3000人にもおよぶ従業員の今後の生活を保証していく模様です』
ただでさえ経済不況のなか、何も知らない従業員に罪をかぶせ、失業者を増やすわけにはいかない。
表面上は政府が主導で決定した発表に、国民たちは英断を称賛した。
良かった、と思う反面、山本は、内心で呆れる思いも抱いていた。
カウンターに頬杖をつき、眺めるとはなしにテレビを見つめながら、
「1週間も経つってのに、テレビって好きな、こういう話題」
飽きねーのかな、と呟けば、となりで同様に頬杖をついていたアフロディーテがあくび混じりに頷いた。
「テレビ、ずっと特番ばかりでつまらないのだ」
ぼんやりと寝ぼけ眼に、舌足らずの口調。
すっかり日常モード(と山本は名付けた)のアフロディーテは、魚のように上半身をゆらゆらとさせながら、
退屈そうに口元をとがらせる。
緩やかにウェーブを描く豪奢な金髪が揺れ、薔薇の香りが漂った。
「まァ仕方ねえわな、でけぇ企業だ」
ふたりに応えたのは、カウンターの中のデスマスク。
横顔が生き生きとしている。
「どっちかってえと、俺はこの1週間でここまでシナリオ描き切った別嬪さんの手腕に驚いてるがねェ」
ふたりの目の前にグラスを差し出す。
ノニック型のパイント・グラスには、みずみずしい炭酸が弾けていた。
赤ワインの香り。
顔をあげた山本に、デスマスクが片目を瞑る。
「俺様スペシャル。今日は特別だ、おごってやんよ」
「マジで? いーの?」
鼻歌交じりの上機嫌で片手をひらひらさせたデスマスクは、そのままキッチンに舞い戻っていく。
ふふ、とアフロディーテがちいさく笑った。
「赤ワインをコーラでわったのだ。デス、今日はきげんがいいから」
あれから、ほんの1週間。
まさかこのスピードで店を再開できるとはデスマスクは思ってもいなかったのだろう。
当然、同じ場所ではない。
区画内の新たな物件を借りたのだ。
資金は保険によって全額、賄われた。
それらがすべてボンゴレのテコ入れに依って行われたことなど、デスマスクも承知している。
労働に見合った対価だ、などと嘯いていたことをアフロディーテは知っていたが、
それを山本に教える必要はないだろう。
朝からデスマスクの機嫌が良かったことで、アフロディーテも、ふわふわと浮かれた気分を味わっていた。
「きっと食事もおごってくれる」
「やった、ラッキー」
山本がぱちん、と指を鳴らした。
カウンターの奥に見える銀髪の後ろ姿を覗きこむようにして身を乗り出す。
少しして、そのまま、かれは体の向きを変え、隣のアフロディーテを見た。
相変わらず現実離れした美貌。だが、それがアフロディーテの本気でないことを知った今となっては、
少しだけ耐性が生まれている。
不意に、アフロディーテが山本の双眸を覗きこんできた。
「おちこんでる?」
他人に興味を示す――ましてや、心境を伺うなど、どれだけの珍事なのか山本にはわからない。
瞬き。いたたまれなさに、山本は情けなく笑い、乱暴に頭を掻いた。
「や、なんかさ――」
「?」
「……正義って、何なのか、難しーって思ってさ」
女の正体を綱吉へと報告した際に、3人で、話し合った。
正しいことをしてきた、とずっと思っていた。
それでも、かれらが絶大な力を駆使するたびに、どこかで歪みが生まれているのだとしたら。
「正義の味方ごっこだって思ってたときはさ、そんなでけー問題、考えたこともなかったけど」
「――」
「結局、オレらは、でっけー力、振りかざして、オレらの正義を他人に押しつけてんじゃねーのか、
とか考えちまってさ」
苦笑。頬杖をつく。
アフロディーテは何も言わないだろう、と山本は思っていた。
その予想が間違っていたことは、すぐに知れた。
「正義は、力だよ」
無感動にも聞こえる淡々とした声。
え、と山本はアフロディーテを振り向いた。
夢のような美貌が、一瞬、現実に彩られる。
「正義には力が必要だから。力がなくては、正義は成立しない」
何かを思い出すように、瞳がすっと細められる。
何を思い出しているのだろう。けれどその何かを知り得たとしても、何も言えないだろう。
本能的に、山本はそう思った。
充分な余韻と、間。やがて、
「けれど――力は必ずしも正義だというわけではない。そこを誤らなければ、何も問題はないのだ」
「アフロディーテ」
「ん?」
呼びかければ、返る応えは既にいつものかれの表情だ。
慰められたのかもしれない。そうでないかもしれない。
いずれにせよ、アフロディーテはこれ以上、その話題に答える意志はないようだ。
頬のあたりを掻く。形容しがたい感情は、それで、切り替わった。
肩をすくめて口調を変える。
「にしてもさ、デスも、マジでタフなのな」
「ん」
「あんだけケガして、肋骨、ぼっきぼきだったんだろ?」
「ん。
でも、聖衣がなくても、小宇宙を燃やしていればあんなケガはしなかったし、したってすぐになおったのだ」
「――な、それ、なんかずっと言ってたよな。それって、何?」
「聖衣は聖衣。小宇宙は小宇宙」
「んー、よくわかんねーよ」
「秘密なのだ」
とぼけるでもなく言ったアフロディーテの頭に、ぽん、と大きな手が載せられる。
「秘密なのだから口にするな」
咎めるでもない声音。
表看板の設置を手伝わされていたシュラが戻ってきたのだ。
山本でさえも敵わないと思わせる、見事な均整の筋肉に彩られた腕は、すでに包帯がとれている。
重度の火傷を負ったことも、肩口にうけた銃創もまるでなかったことのようだ。
まくりあげていた袖を元に戻しながら、シュラが続ける。
「どのみち、デスはもともと体力だけは人一倍だ」
「にくまれっ子よにはばかる」
くす、と笑ったアフロディーテの頭をもう一度撫でて、シュラもスツールに腰をかける。
カウンターの奥にドリンクを要求すると、アフロディーテ越しにこちらを向く。
「あなたがたには、却ってご迷惑を」
「や、こっちこそ、助かったし。迷惑なんかじゃねーよ」
「そうだ、めいわくじゃない」
山本の言葉に即座に頷くアフロディーテ。
白い指先がくるくると円を描きながら天井を示し、
「シュラだって、ふつうにしてるのにあんなふつうじゃない動きかたをしたら、反動がくるのはあたりまえなのだ。
シュラでそうなのだから、デスだったらもっと。だからむしろ迷惑料を取って、むぐ」
気の抜けた擬音は、アフロディーテの後ろからシュラがその口を塞いだからだ。
山本も思わず苦笑いを零す。
かれの前では滅多に表情を動かさなかったシュラが、申し訳なさそうに眉根を寄せて、溜息をついた。
ちいさな謝罪は、非難の声をあげたアフロディーテを離す直前に。
むう、と頬を膨らませたアフロディーテにグラスを促しながら、シュラは改めて居住まいを質した。
「獄寺さんの戻りは、今日ですか」
「おう。終わったらここに直行すんじゃねーかな」
「お気づかいをいただいてしまい恐縮です――大変だな、あの人も」
シュラの苦笑に山本は肩をすくめて見せた。
今度こそ政府にきっちり対策を。
そう決めた獄寺が、綱吉とともにローマに経ったのは3日前だ。
それまではミラノで出来る始末を休む間もなくフル活動で行っていた。
――結局、研究所の施設は警察の捜査期間中、ボンゴレが接収し、現在も調査を行っている。
だが、明らかに現代社会ではオーパーツとなった研究機材。研究に進むか、放棄するか、
どちらにしても厳重な管理を敷かなければならないだろう。
「あっちも手配しなくちゃなんねーし、ほんと、頭下がるぜ、獄寺には」
この1週間、まったく作れなかった2人の時間を皮肉る心持がなかったわけではない。
それにしても女々しいほどあからさまに出てしまった声音で、山本は「あちゃ」と表情を変えた。
誤魔化すように笑ってから、
「でもさ、あの変な爺さんと、姉弟、結局めっかってねーから。あんたらも当分、気ぃつけてな?」
「すみません。もっと厳重にしておけば良かった」
「や、あんたらの所為じゃねーって。警察のミスだから」
意識を失った姉弟の身柄は警察が捕獲した。
ところが、輸送中、知らぬ間に姿を消したという報告を受けたとき、山本は内心、仕方ない、と思っていた。
「爺さん、取り逃がしたのはこっちだしな。ローマ行ったらICPOに手配するって言ってたからさ」
文字通り、獄寺は駆けまわっているのだろう。
「自分も炎つかいきってヘロヘロだったのに。ツナの前だと平気な顔でカラ元気でさ。
オレも着いてくってったら、3人ともミラノあけるわけにゃいかねーだろって」
寂しくて死にそう、と泣きごとを吐けば、律儀なシュラは慰めの言葉で返す。
「それだけ山本さんを信頼されているんでしょう」
「それは嬉しいけどさー。
オレ、ぶっちゃけ事務仕事なんてこれっぽちもできねーし、オレじゃなくても笹川兄も雲雀もいま戻ってっしさ」
ふてくされてカウンターに顔を突っ伏す。
前の居酒屋と同じつくり、中庭を抜けた扉が音をたてたのは、その直後だった。
「――たしかに、昼間っからこんなところでグダ巻いている馬鹿じゃ、役に立ちやしねえな」
「獄寺さん」
シュラの声に山本は勢いよく顔をあげる。
勢いをつけすぎて、危うくこぼしかけたグラスはシュラが抑えてくれた。
「お帰り、ごくでら!」
立ち上がった山本は、誰の制止も間に合わないのをいいことに、獄寺の首にかじりつく。
真新しい磨かれた床のうえで、獄寺の体がよろめいた。
「んの馬鹿、いきなり何しやがる! やめろッ!」
「なんで!? オレ、すげー寂しくて寂しくて寂しくて死ぬかと思ったのに!」
「うるせえ馬鹿、この馬鹿! 人前だ!!」
真っ赤になった獄寺の視線をぐるりと首を回してたどれば、
きょとんとするアフロディーテと、咳払いで苦笑を浮かべるシュラの視線。
「あー……その、お構いなく」
「ん。きにしないのだ」
呑気な言葉は逆効果だった。
獄寺の手が乱暴に山本の顔を押しのけて、距離が生まれたついでに、指輪だらけの拳で殴る。
脳天に炸裂したパンチに眩暈を覚えた一瞬、獄寺の体は山本の腕からすり抜け、
さっさとカウンター目指して歩いて行ってしまった。
真っ直ぐに目指したのは、アフロディーテの前。
差し出されたのはリボンのかかった菓子の箱。
店名の刻まれた洒落た小箱は、いま、国内でも最も有名なコンフェッティ屋のひとつだ。
アフロディーテが小首を傾げる。
「これ?」
「さんざん迷惑かけちまったからな。開店祝いも兼ねて、受け取ってくれ」
「なんでわたし?」
「なんでって――そりゃ、こういうのはレディ・ファーストだろ」
どうやら獄寺の誤解は未だ解けていなかったらしい。
複雑な心境だったが、獄寺がアフロディーテにプレゼントを手渡す光景は、
目撃しただけで幸運を感謝できるほどの見栄えだ。
戸惑いを浮かべたシュラの視線が山本を見る。
そらっとぼけて肩をすくめて見せると、悪戯心に呆れた様子で、シュラは溜息をついた。
そして、
「ロディ、もらっておけ。御好意だ」
「でもわたしレディじゃないのに」
「すみません、却ってお気づかいを」
気にするな、と獄寺が片手を掲げる。
羽織っていたコートを脱ぐころには、デスマスクが奥から姿を現した。
「お、帰って来たのか。良かったなタケシ」
両手に持つのは、カポナータ、カプレーゼ、タプナート――彩り豊かな前菜の数々を並べた皿。
「ロディ、隣に座らせてやれよ。……いいねぇ、そこ、いやあ豪華な絵だわ。金払ってやりてぇくらい」
「デス、おれの酒は」
「うっせ。待ってろ。――ってか、おまえ、どけよ。せっかくの目の保養に、ムサいツラ並べてんじゃねえ。
ちったあこっち手伝ってから言え」
シュラが眇めた視線をデスマスクに向ける。
だが、無言で立ち上がりカウンター向こうに回り込んだあたり、出来た人格だと言わざるを得ない。
デスマスクから受け取った皿を黙々と並べる。
「もうすぐピッツァも焼けるから。そしたら乾杯と行こうや」
言いざまに素早く身を乗り出し、アフロディーテの唇をかすめ取る。
当り前のようにそれを受け取るアフロディーテと、気にした様子もないシュラに、獄寺があからさまな戸惑いを浮かべた。
「お、おい」
いいのか、と誰に訊けばいいのか迷いながら、椅子に座る。
こみあげた笑いを寸でのところで抑えた山本は、つい先ほどまで自分がいた席に座った獄寺の隣へと、自分も腰を落ち着け直した。
満面の笑みで、獄寺の視線を受け止める。
「――」
それを大げさなしかつめ顔で眺めた獄寺は、ややあってから、意を決したように
「シュラ、アフロディーテ。ことはあらかた片付いた。今日はいろいろ聞かせてもらうぜ」
「ん?」
「お前たちのその――小宇宙とか、超能力とか。
それとお節介かもしれねえけど、その、なんだ、付き合い方とか。見直した方がいいんじゃねえのか」
アフロディーテが反対側に首を倒す。
困ったようにシュラが視線を明後日に逃した。
「なんだったら、オレが家、手配してやるから――」
「はは、マジでごくでら、お節介」
「うるせえ、黙ってろ! こういうのはな、こじれる前にハッキリさせといた方がいいんだよ!
なあ、シュラ」
「え。あ、……おれは、べつに……――獄寺さん、近いです」
「シュラー、なんであかくなってる?」
「ごくでら、なんでそんなにシュラばっか構うんだよー」
テレビの音はあっという間に聞こえなくなった。
店内に漂い始めるピザの香り。
事件の残滓など微塵も感じさせない。
世界には、賑やかで平穏な日常が舞い戻ってきていた。◆
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