The pure and the tainted

30.



すっかり上った太陽の日差しが、屋上のヘリポートに容赦なく降り注いでいる。
こちらに向けられる銃口は、机上を戦場に選んだ女の手には不釣り合いだった。
むしろ警戒するべきは、女の傍らのガードマン――腰だめに構えたSMGと、片腕には意識をなくした老人の姿。
フランコ爺さん、と山本が呟き、その正体を知った。
どこかうつろな眼差しが、瞬きもせず2人を出迎えている。
それですら、山本に任せれば何の問題もないだろう。
自らは武器を下げ、獄寺は、女に向けて片手を広げた。
「あんた――ミルフィオーレのいた世界を知っているんだな?」
女の目線が細まる。
眩しいものでも見るかのように、獄寺を見返す。
「ええ、そうよ」
十年前のあの日、十年後の世界にめぐらされた野望を打ち砕いた。
舞い戻ると同時、並行世界はリセットされ、かれらのみ、記憶としてそれらを残すベネフィットが与えられた。
けれど何十億もの人口のなかに、事故が起きたとしても何の不思議はない。
「十年前――私は、十年後のあの世界に暮らしていた記憶を視たわ」
ミルフィオーレによって支配された未来のひとつ。
マフィア同士の抗争は、市井のひとびとすら容赦なく巻き込み、激化していった。
あのときのマフィアたちに、近代兵器はどれひとつ歯が立たなかった。
軍隊など無きに等しいものだった。
ひとびとは、欲望のままに殺し、破壊していくマフィアの恐怖に怯えて日々を過ごしていた。
「あの日――私の目の前で、“あなたたち”は戦いを始めたわ」
おそらくそれは、無辜の市民を守るための戦いだったはずだ。
けれどその世界では、そのころ、既にそうした次元を越えた段階に抗争は突入していた。
「守れっこない。もう“あなたたち”にはそんな力はなかった。むしろ“あなたたち”を狩ろうとした攻撃に、
 私たちは巻き込まれた。そして、あの世界で――私は、私の夫と子どもを亡くしたわ」
女の眼差しが、見るべき世界を見失ったように、遠くを彷徨った。
「……それで、こんな実験をしたっていうのか?」
「そうよ――いえ、違うわ。でも……そうね。
 あんな記憶を突然手に入れてしまったばっかりに、この世界での私の人生は狂ってしまったもの」
アメリカの工科大学でまっとうな研究者として歩んでいた彼女の人生は、10年前、たった一瞬で塗り替えられてしまった。
その時代の彼女にはいもしなかった夫と子どもを亡くした痛みと、悲しみ。奪われた怒り。
気が狂ったのかと思った。せめて夫と――まだ生まれてもいない、生まれるはずの子どもと巡り合えれば、と思い、探し回った。
けれど彼女がすがりついた糸は細く、容易く切れ、彼女を一層、惑わせた。
「私は、記憶だけを頼りに研究を始めた。あなたたちマフィアに匹敵する絶大な力を手に入れなければいけなかった。
 そうしなければ、復讐もできない。
 そうしなければ――あなたたちと近づくことも、私が狂っていない証拠も手に入れられない。
 狂人扱いはさんざん受けたわ。でも私は狂ってなんていない。
 私は――ただ、最愛の家族と私の人生を奪った“あなたたち”に、どうしても復讐したかっただけ」
まくしたてる女の表情には狂気が宿っていた。
至極冷静に見える仮面にしたで燃えたぎる感情を形容するならば、そうとしか言いようがなかった。
「リセットされた世界のために、人を犠牲にすることを善しとするのか」
言いながら、獄寺はもっとべつの言葉を選べない自分を恨んだ。
説得力がないことは自分が最も理解していた。
消滅した未来。
持ち得ないはずの記憶。
かれらにとっては有益な情報は、ともすればひどく残酷なものとなる。
それだけの破壊が行われたのだ。
紙一重の危険性を、かれだとて今日まで考えなかったわけではなかった――。
「ひとは都合の悪いことはリセットしたくなるものよね」
女の銃口が、フランコの頭に向けられる。
「そうね、もしあなたたちが正義の味方だというのならば、私は誠意が見たいわ。武器を捨てて頂戴」
肩越しにこちらを一瞥した山本に、獄寺は短く首肯する。
精悍な表情に躊躇を浮かべて、山本は口元を引き結んだ。
女を見ながらゆっくりと腰を落とし、刀を足もとに置く。
両手をあげてから手を示す長身の影に、女が嫌らしい哄笑を発した。
「なんてお笑い草!
 私の家族は救えなかったくせに、こんな老人ひとりのためには我が身も惜しまないというのね!」
「――どんな状況であっても、あんたが追い詰められてるのには変わりねえぞ」
“実験体”はことごとく破棄した。
いま、たとえここで山本と獄寺を討ったとしても、もはや彼女の情報はボンゴレに筒抜けになるのだ。
「条件はなんだ?」
「言ったでしょう、復讐だって」
殺し合いなさい、と女の口元が言葉を紡いだ。
女の傍らにいたガードマンが、ふむ、と初めて口を開いた。
その、いやに年寄りじみた相槌は聞き覚えのあるものだった。
――あいつ!!
はっと我に返る。
注意を手元に引き寄せたのは、ゆらり、と山本の身体が動いたからだった。
ものも言わずに伸びる逞しい腕。
「な!!?」
広げられた大きな手。
いつもなら、鬱陶しいほど優しく、甘く獄寺の身体を抱き寄せる手が、細い頸に回る。
「やまもと……っ!?」
頸部を圧迫する力。
止められた呼吸。
獄寺の耳は、女の声を聞いた。
「遅かったのね?」
「ふむ――そこの頑固な守護者どののほかにも、厄介な敵がおっての。あれは、本物のESPじゃな。
 危うく捕まるところじゃったよ」
「逃げて来れたのね」
「使い慣れたからだひとつ、つぶしてしもうたがの」
ガードマンが喉の奥で笑う。
しわがれた声。
脳波を支配し、意識を操る機械だと言った。肉体ごと奪う術があったとしてもおかしくはない。
エストラーネオ・ファミリーが十数年前に開発した弾丸に似た機械を、現在の米軍が開発できないいわれも、ない。
――っくしょう。
「まあ死にかけの老人の身体じゃった。どうせなら、次は――そこの守護者のような若い肉体を得るのも一興じゃて」
ぐ、と山本の手に力がこめられた。
息ができない。
震える手で、獄寺は山本の手首を掴んだ。
覆い被さるように力をかけてくる体。
支えきれず、膝が折れた。
視界を埋め尽くすのは、うつろな山本の目。
わずかな呼吸に混ざるのは、かぎなれた体臭と、血の匂い。
獄寺の細いシルエットは、完全に山本のそれに覆われた。
「――」
ふ、と女の口元が緩む。
銃口がさがった。
近づいてくるヘリのプロペラ音に、女はゆっくりと顔をあげた。
その横顔に、ガードマン――かつて老人と称されていた――の声がかかる。
「実験はどうするね?」
「――私、用心深い性格なの。この国がだめでも他に買ってくれるところはあるわ。
 データもすべて頭にあります。迎えが来たということは、裏切られなかったみたいね」
「ふむ」
「あなたも――来るかしら? 役に立ちそうだわ、同行するつもりなら、よくってよ」
「ふむ。あんたの金払いによるがの」
「損はさせないと思うけれど。それも――今後次第ね」
女が空を振り仰いだ。
ヘリの影が徐々に大きくなる。
風が強さを増した。
――かすかな音が女の耳に違和感として届いたとき、女は、その理由もわからず、瞬きでみずからの胸元を、見下ろした。
「……」
硝煙の匂いが風にさらわれていく。
彼女の視線の先。
広い背中のジャケットの裾が、風にはためいている。
そこにあいた銃痕は、まっすぐに彼女の胸元に結ばれていた。
「な、ん……――」
つま先から徐々に力を失い、女の体が崩れた。
それと入れ替わりに、山本の肩を押して、獄寺が立ち上がる。
精神の束縛に抗い続ける山本の体が、がくっと崩れ、地面に片膝をついた。
右手首を、必死で抑えつける左手。
獄寺の片手が握る銃は、銃口から薄い煙を立ち昇らせていた。
「――!」
途端に、ガードマンの体がくずおれ、老人が放り出される。
山本の背中が跳ねた。
術が解除されたのだろう、きつく眉根を寄せたまま、苦しげな眼差しで無理につくった笑みが、獄寺を見上げた。
――操りきれなかったじゃと!?
どこからか響く、老人の声。
襟元をくつろげ、風にさらした白い喉元をさすりながら、獄寺は片笑みを浮かべた。
「操る相手を間違えたんだよ」
吸い込む空気が肺に沁みる。
「こいつはな、死んだってオレを殺せやしねえんだ。――残念だったな」
悔しげな舌打ちがこだまする。
山本が顔をあげた。
そのころには、屋上には誰の気配も残されていなかった。
こちらを目指していたヘリが、しばらくしてホバリング状態に移る。
軌道修正を試みたことはすぐに知れた。機影が遠のき始めたのだ。
「――あれ、撃ち墜とす?」
いつの間にか立ち上がっていた山本が、獄寺と肩を並べてヘリを指差す。
隣を振り返り、
「できんのかよ」
「や、ムリ。もうガス欠」
「だったら言うな」
「悪ぃ」
口ばかり、悪びれずに笑った山本が頭を掻く。
軽い溜息でそれをいなし、獄寺はポケットをまさぐり、煙草を引きずり出した。
「てめえが役に立たねぇのは今に始まったことじゃねえよ」
「はは、ひでーの。間に合ったじゃん、オレ」
「そういう段取りだっただろうが」
「ちえー、つれねーのな」
「助けに来んのはわかってたって言ってんだろ、馬鹿」
憎まれ口で火を灯す。獄寺の言葉の裏側を読み取った山本が、いっきに笑顔になった。
それが妙に気恥しく、獄寺は誤魔化し半分で髪をかきあげる。
「ま、安心しろ。今度こそ航空管制で正体ひっつかまえてやるぜ」
紫煙を漂わせながら踵を返した獄寺の後を、嬉々として山本が追いかける。
屋上の隅、ふと見下ろせば、建物の外でこちらに向けて手を振るアフロディーテの姿目に入った。
その傍らにはデスマスクとシュラもいる。
疲労しているが、目立って怪我をした様子はない。
「こっちは終わったよ」
終わった? と訊くこえに、たてた親指で返す。
そして、
「警官隊呼ぶから、オレらはずらがるぞ!」
頷きが返る。
速やかな撤退を次の作戦行動に示して、獄寺と山本は階段を目指した。