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The pure and the tainted
27.
車の周囲、倒れ付した男たちが、きっちり測られたような半円を描いていた。
わずかな薔薇の残り香も、瞬く間に風に洗われる。
メールの文面を確認した獄寺は、足元に煙草を吐き捨てて、スマートフォンを仕舞った。
「――アポが取れた」
短く告げる。
アフロディーテを見慣れているデスマスクですら、こちらを一瞥した翠の視線をたたえたくなるほど、
横顔が見せた表情は見事なものだった。
もともと端整な美貌だということは分かっている。
それが、覚悟だとか、決意といった、人間が激しくエネルギーを燃やした時に満ちる生気によって、
一層、引き立てられるのだ。
「冷静で、完璧な右腕」というつくられた人格ではなく、生来の勝気さが押し出されているのだろう。
人は、ごてごてと余計なもので飾り立てられるよりも、あるがままの姿が最も美しいに決まっているのだ。
思わず口元が笑みを象る。
――どうせなら、ベッドのなかでお目にかかってみてえもんだ。
きっと、どんな女も裸足で逃げ出す。さぞや楽しませてくれるに違いない。山本が惚れ込むはずだ。
「……やらしー顔」
ぽん、と肩口に重みがかかる。見ればアフロディーテがそこに顎を乗せ、非難するでもない瞬きを繰り返していた。
内部に侵入した2人へのナビゲーションは終了していた。
必要があれば、向こうからかれを “呼ぶ”だろう。
モニターをダッシュボードのうえに置き、デスマスクは開け放したドアの傍でしゃがみこむアフロディーテの頭を撫でた。
仕草で車外に出ることを伝えれば、アフロディーテは素直に身を除ける。
「マジでひとりで行く気か、別嬪さん」
屋根に片手を預け、デスマスクは獄寺に話しかける。
獄寺が振り返った。
「ボンゴレとしての正式な面会だからな」
まくり上げていたジャケットの袖を折り目正しく戻しながら、こともなげに言う。
「内部の工作は成功してんだろ。物騒なセキュリティもあらかた片付いた。心配にはおよばねえよ」
「とは言ってもなあ」
「舐めてんのか?」
「そうじゃねえよ。ただ――あんたにもしもがあると、明日っから俺らも路頭に迷う羽目になりかねねえからな。
用心にこしたこたぁねえだろ。向こうだってボンゴレの構成員、全員の顔知ってるってわけじゃねえんだしよ」
胡散臭そうな視線がデスマスクの体に走る。
芝居がかって肩をすくめてみせると、獄寺は短いため息をついた。
「さっきに比べりゃ、ずいぶん顔色はよくなってるみてえだが――だからって、怪我人を矢面に立たせるわけにいかねえだろ」
「だったらせめてロディだけでも、」
「だめだ」
「嫌だ」
双方向から返った答え。
思わずデスマスクは頭を抱えた。
未だしゃがみこんだままのアフロディーテを見下ろし、肺のあたりを圧迫する痛みをこらえて腰を落とす。
長く、濃いまつ毛が縁取る大きな瞳と同じ高さに目線を合わせ、声を潜めて口早に言う。
「おまえな、なんなわけ、その即答は」
「嫌なものは嫌なのだ」
久々に戦闘が続いたからだろう。
シュラとふたり、「ぼーっとしているくらいがちょうどいい」とインプリンティングしたはずのアフロディーテの表情は、
寝ぼけたような気配はなく、はっきりした意思を湛えていた。ぷい、と頬のあたりを膨らませ、
「わたしは行かない」
「あのな、バカ魚。相手はボンゴレだぞ。
上客なうえに、ここで恩を売っときゃ、これからとうぶんミラノじゃ安泰なんだ」
「知らない」
「うちはどーする。保険屋が出し渋ったら、ボンゴレの代わりにどこにたかれんの、ああ!?」
――ずいぶんと下世話な話題だ。
声をひそめたところで、この距離である。
獄寺の聴覚が余すことなく会話を拾っていることに、デスマスクは気づいているのかいないのか。
驚異的な能力を見せつけてくれる割に、ずいぶんとせせこましい思考回路をしている。
清々しいほどの小物ぶりに、獄寺はこっそりと肩を落とした。
言い募るデスマスクの目の前で、アフロディーテがゆっくりと瞬いた。
盗み見ただけの獄寺ですら、どきりとさせられるような上目遣い。
「だったら君ははやくその折れまくった肋骨をつなげることだ」
「おま――……無茶言うなや」
「無茶は君のほうだ。そんなの、その気になればしなくて済んだケガだし、
いつまでも骨折させたままでいるなんて、ドMもいいところだ」
「小宇宙は燃やさねえのが、こっちで暮らす約束だろうがよ」
「それでケガをされるくらいなら、約束を破って帰った方がましだ」
「ロディ」
デスマスクは押し黙る。
アフロディーテが立ち上がった。
「君が弱くてずるいくせに、おかしなところで律儀なのはわたしだって知っている。
一般人相手に本気を出すのは名折れだとでも言い訳して、ルールを守ったのだろう。馬鹿は君だ」
「俺はおまえやシュラと違って、直接、小宇宙飛ばす技しかねえって知ってんだろ。
剣圧だったり、薔薇だったり、媒介とかつかえねぇの。不器用なんだ、こそこそできねーのよ。
自慢じゃねえが体術だってたいしたことねえしな。
人間相手にできる範囲で、ふつうに殴る蹴るでどうにかできる相手でもなかっただろーが」
「そんな話はしていない」
唇を引き結んだアフロディーテを見上げて、デスマスクは表情を歪めた。
ややあってから、億劫そうな仕草で身を起こす。
胸元を抑えているあたり、肋骨の骨折は本当なのだろう。口を出さずに傍観者に徹していた獄寺も、思わず表情をひそめた。
「君がいますぐケガを治すというなら、わたしも君の言うことを聞く」
アフロディーテが、負傷したデスマスクをひとりで残すことを心配しているのだと、
はたで見ている獄寺にもはっきりとわかった。
かれらは何かに制限を設けて暮らしている。
もし解除されたのならば、多少の損傷も回復できるもの。
見せつけられた能力以上に、強力な効果を発揮できる何か。けれどその制限はとても強くかれらを縛っている。
――得体の知れないやつらだと思ったが。
獄寺は両目を細めて、ふたりを見た。
脅威として、今すぐ警戒するべき存在ではない。それは確信できた。
デスマスクの腕がアフロディーテに伸びた。
引き寄せた美貌の瞼に、笑みの消えた唇が触れる。
止めようかと思ったがそこまで無粋にはなれなかった。
ここにはいないシュラに向けて、浮気(だと獄寺は誤解したままの)現場を黙って見ていたことに対する謝罪を、胸中でこっそり告げる。
「まだもう少し、こっちで暮らさせてくれ――3人で」
聞き落しかけたデスマスクのちいさな声音は、この24時間弱の付き合いで、初めて聞く響きだった。
アフロディーテの両手がデスマスクの腕をつかむ。
抱き寄せられた態勢のまま、アフロディーテは、まっすぐに獄寺を見た。
安心しろ、と獄寺は首肯で返した。
「ついてこいなんて言いやしねえし、はなから1人で行くっつってんだろ」
「ん」
「心配しねえでも、いざとなったらてめえの店の面倒は見てやるよ。
ここまで巻き込んで、なんのカタもつけねえほどうちは不義理じゃねえからな」
たてた人差し指を向けてやると、デスマスクが視線でぐるりと天を仰いだ。
「聞こえてるってか」
「耳は良いって言ったじゃねぇか」
茶化す口調で告げ、獄寺はフロントガラスに映った自らの姿を確認し、銀の髪をかきあげた。
身辺の危機よりも、セットもしていない髪のままボンゴレの看板を背負った交渉に赴かなければいけないことのほうが、
彼にとってははるかに気がかりだった。
背筋を伸ばした獄寺に、デスマスクが口を開く。
「しつこいようだけどな、もう一度、言っとくわ。このまま破壊工作に徹するだけのが、得策だと思うぜ、俺は」
「いや、話をつける。――こういうのは根治治療じゃねえと」
二度とおかしな真似を繰り返さないように、徹底的に話をつけなくてはならない。
わざわざ政府を動かすまで粘ったのも、他者に対するわかりやすい見せしめだ。
「適当な処理で、二度、三度同じことを起こすわけにはいかねえ。
オレには十代目の右腕として、この街の治安を守る義務があるからな」
僅かに右肩上がりの華奢な後ろ姿が歩き出す。
「車で行けばいいのに」
正門まではせいぜい数分の距離でしかないが、アフロディーテはそうつぶやいた。
「気を使ってくれてんだよ、あの別嬪さんは。俺ら放りだす訳にいかねえってな」
「ふうん」
「あーくっそ。だからって、こっちもこのまま放り出せねえよなあ」
がしがしと頭をかきむしったデスマスクの傍らで、アフロディーテが密やかな笑みを浮かべる。
どんな露悪的に振舞ってみせたとしても、大悪党にはなりきれないデスマスクの小悪党ぶりが、
アフロディーテは好きだった。
シュラの、どれだけ常識人ぶってみたところで、そのじつ、ひどく我の強いところを好ましいと思うように。
だから、アフロディーテはそのままデスマスクの腕に片腕を絡ませた。
「あの子のところには、タケシがいけばいい」
「――お取り込み中で連絡取れねえぞ、さっきっからシュラも反応しやしねえし」
シリアスモードを終了させて、アフロディーテはぼんやりと頷く。
そのまま自分のつま先を見て、デスマスクを見上げて、研究所を見て、もういちど、デスマスクに向き直る。
絡ませた腕に力を込めた。
そして、
「じゃ、行こう」
「ちょっと待てっ、何が『じゃ』なんだよ、何が!」
「れんらくがとれないなら、直接いいに行けばいいのだ。デス、道わかるから」
「おまえ――ケガ人、走らせる気か。鬼か、悪魔か!?
好きなほうで呼んでやるから、どっちか選べ、この鬼畜金魚!」
「わたしがいるからだいじょうぶ」
にこりと微笑まれると反論はできない。
何が大丈夫なのか訊いたところで答えはかえらない。
アフロディーテのデフォルトの思考回路は、奇想天外というよりも摩訶不思議を主成分としていた。
抗うことはできない。そもそも嫌がっているのは素振りだけなのだ。
アフロディーテが言わなければ、同じことをデスマスクが言っていた。
それなのに、ひねくれた性分の男は、わざとらしいため息をつく。
「……この状態で、ガチンコすっかもしんねえの? やだわぁ、骨が折れそう」
「もう折れてる」
「――そういうこっちゃねぇよ」
珍しくも率先して前に進むアフロディーテ。
半ば引きずられるように歩き出したデスマスクも、揃ってフェンスを乗り越えるころには、
しっかりとした足取りで走り出していた。
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