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The pure and the tainted
26.
リノリウムの床が足音を吸い込む。
白く無機質な廊下は、気を抜いたが最後、空間把握能力を狂わせそうだ。
時おり壁に走る光の矢印は、何かの目印だろう。
子どものころ見たハリウッド映画のセットだと言われれば信じてしまいそうだ。
妙に光度の高い照明と言い、同じような扉が続く複雑な構造の廊下といい、
これでかれの敵がゾンビだったら、完璧――そんな不謹慎なことを考えながら、山本はちろりと唇を嘗めた。
ゾンビが人間のなれの果てだとすると、彼がこれから退治しなくてはならないモノも、その類似品である。
まるでゲームだ。
ひとつ違うことがあるとすれば、プレイヤーがリトライできないことだろう。
「――次を右」
僅かに先を行くシュラの背中は、山本が感じる緊張感とは無縁にも見える。
直接かれの脳裏に届けられる内部地図は、2人を確実に研究棟の奥へと運んでくれている。
複雑な経路をたどるのは、ボンゴレ本部で行っているシステム介入と連動しなくてはいけないからだ。
――こういうの、慣れてんのかな。
自らが進む先の一歩に皆目見当もつかない状況で、ふつう、ひとは躊躇を覚えるものだ。
怖いもの知らずだと自覚している山本ですら、時折、二の足を踏むことがあるというのに。
「超能力って、便利な」
駆けながらつい口を衝いた言葉はシュラの耳にも届いたようだ。
「便利かもしれないが、限界はある」
「限界?」
「あの怪我でここまで集中するのは骨が折れるだろう」
幼馴染のことを心配しているそぶりもなく言う。
「もうすこし鍛錬に気を入れていれば、あいつももっと自在に使えただろうが」
「これでもまだ自在じゃねーの?」
「ああ。昔は1、2の能力を誇っていたが、いまでは後輩たちに追い抜かれて――」
言いかけたシュラの足が止まった。
速度に見合った身体制御の反動はない。
危うくそれに倣った山本は、通路のさきに佇む人影を視界に捉え、身構えた。
白い景色に映える赤毛がゆっくりとこちらを向く。
初対面の山本でも見覚えがあると感じたのは、車内で眠る女に似通った顔立ちをしていたからだ。
「やあ。また会えたね」
赤毛の青年が飄然と片手をあげる。
「そっちのかれが、守護者かな。初めまして、会いたかったよ」
「――」
シュラがわずかに顎を引いた。
鋭利な視線が青年の動きをつぶさに観察している。
口を開く様子はない。
だから、代わりに山本が口を開いた。
「初めまして、ってオレにだよな。じゃ、獄寺たち襲ったのって、あんたか」
「襲うまではできなかったけどね、何時間か前に、挨拶は済ませてるよ。ね」
人好きのする笑顔がシュラに向けられる。
答えないシュラに、青年は困ったように首を傾げ、山本を振り向きながら、おどけた仕草で肩をすくめて見せた。
一見すると、気が合いそうなタイプだ。しかし、見た目だけではない何かが、山本の本能に警戒のランプを灯した。
敵意や悪意を感じさせない青年の笑顔の下では、どす黒い何かが渦を巻いている。
――似たもの同士だからか?
顎先に傷跡を撫でて、山本は自問した。
――いろんなヤツがいるのな。
腕力だけが自慢のような、粗暴な巨漢。ついぞ姿を見ないまま彼が手にかけたそっけないスナイパーの女。
かと思えば感情が常に先走るような赤毛の女と、加えて、この青年。
アフロディーテが遭遇したのは老人だと言うし、画面映えしそうなメンバー構成だ。
ますますゲームみてえ、と不謹慎な感想を募らせ、山本は改めて青年を見た。
「あんた、姉弟とかいるよな?」
「わかる? 似てるって小さいころから言われたから、わかるよね」
「じゃ、あれ、あんたの妹? 姉?」
「あはは、面白いな、雨の守護者は。明らかに年上でしょ、姉さんの方がさ」
「や、ほら、女子相手にはさ、下に見積もるのが礼儀じゃね」
頭を掻く。他意はない。山本にとって、その処世術は本能的な判断のようなものだった。
「姉さんが聞いたら喜ぶかどうかはわからないけど、お礼でも言っておこうかな」
青年が遠くを見るように首をめぐらせた。
何気なく、
「彼女……生きてるの? 念のために聞かせて欲しいんだけど」
「ああ。無事だぜ。獄寺、ああ見えてフェミニストだからさ」
「そう」
良かった、と呟いたのかもしれない。
残念、と言ったのかもしれない。
それを確かめることは出来なかった。
「じゃあ遠慮なく、僕も仕事をさせてもらうよ」
にこり、と青年が笑った。
「面倒だけど、ここの警備システムはあなたたちに翻弄されてるみたいだし。点数稼げって言われてるしね」
――じゃ、こっちで正解ってことか。
ふたりがこの奥に行く前に、足止めをするつもりだろう。
連行するのが依頼だと言っていたが、青年がオーダーに対してどこまで忠実なのか、まだ見極められなかった。
それにしても、研究所の警備が撹乱されていると知りながら、なぜ、かれは単独で登場したのだろうか。
よほど自信があるのか――感じ悪ぃの、と口中でつぶやく。
山本がゆっくりと日本刀に伸ばした手は、しかし、思いもかけず、シュラによって制された。
「あなたの“炎も”生体エネルギーのようなものだろう。いたずらに消費することはない」
低い声が言う。何との並列かはわからない。
ただ、明け方、山本がシュラの剣を見たように、シュラもまた、山本の戦いを見ていたということだ。
回復しきっていないことも見透かされていたのだろう。
胸の高さに手刀を構えたシュラが、青年と山本の間を阻むように立ち位置を変えた。
「本番はこの後に控えている」
青年の眉があがった。
「へえ、あんた、僕を前座扱いする気なの」
「――貴様の相手はおれで充分だと思ったまでだ」
「自信家だね。……さっきは僕を止めることもできなかったのに」
くすっと笑った青年に、シュラの背中が気配を変える。
――仕返ししてこいって、言ってたっけ。
無愛想で謹厳実直だが、じつはひどくプライドが高いのだと、以前、デスマスクが言っていたことを偶然にも思い出した。
後れを取ったことに、腹の底で煮えくりかえるほどの怒りを抱えていたとしたら、青年の一言はひどい屈辱だったに違いない。
「まあいいや。僕は雨の守護者を連れて来いって言われてる。あなたには――用はないんだ」
「!?」
青年が言い終えるや否、鼓膜の奥でちいさな炸裂音がした。そして、山本の視界から青年がかき消えた――ように見える。
瞬きほどの時間もかけず、再び青年を知覚したのは、シュラの目と鼻の先の位置。
――なんだ!?
山本は目を瞠る。
身をかがめた青年がシュラの顎先に押しつけたのは、.357マグナムの銃口。
実用レベルの強力弾を放つには最高といわれる大口径リボルバーだ。
撃たれれば、跡形もなく頭部は吹き飛ぶだろう。
「! シュラ、」
山本が警告を発する隙もなかった。
青年の指が躊躇なく引き金にかかる。撃鉄が倒れる。
初速305m/sの銃声が、どう、と響いた。
「!!」
――まさか、コンマ以下の時間で、至近距離の弾丸がかわされるなどということを、青年も、山本も考えもしなかった。
シュラが描いたバックステップの軌道は、空間に残像を刻む。
着地の衝撃に耐えかねた床が削れ、嫌なにおいの煙をたてた。
僅かに折れた膝。
あの速度で動いたのだ、物理法則上、身体に壮絶な負荷が発生しておかしくはない。
「……ちっ、」
青年が舌を打つ。
2発目の銃弾は、踏み出しかけた山本の足をその場に縫いとめる。
流れるような仕草の3発目は、身を起こしかけたシュラの眉間を狙った。
体勢を整える前に、大きく踏み出す一歩でシュラは再び銃弾を避けた。
――……ありえねーって。
山本はこめかみあたりを流れる汗を覚えた。
たしかに山本も間近で撃たれた弾丸を切ることはできる。
しかし、シュラの動きは人間が生身で行動できる範囲をはるかに凌駕していた。
圧倒的に有利なポジショニングにいたはずの青年が、次のアクションを起こすことさえ出来ない。
シュラの目の前の空間が陽炎のように揺らぐ。
振われた手刀が大気を裂いた。
――やった!
一刀は、確実に青年を間合いに捉えている、はずだった。
だが、青年の正面、空気は弾け、剣風が霧散した。
ばち、と激音が鳴る。
目に見えない防御機構――青年の周囲を取り巻くフォース・フィールドの存在に気づいたのは、
山本が先か、シュラが先かは分からない。
「やるなあ、この距離で2発もかわすなんて」
反動で大きく後方に飛んだシュラと充分な間合いを取りなおし、青年が口元をぬぐう。
「でも、これは簡単には破れないよ。何しろNASAが宇宙空間の作業用に開発した装置だからね。
成層圏でも小型隕石くらいは防げる耐衝撃なんだ」
莫大な開発費に較べ絶望的な費用対効果が実用化を妨げた。
大西洋向こうのニュースを聞いたのは、そう遠い昔ではなかった。
シュラに下駄を預けるつもりでいたが、思わず山本は口を開いた。
「あのなんとかってパワードスーツの仲間か?」
「プライベート・トーチカ? あたり、とは言い難いね。
あんな窮屈で不愉快なスーツなんて、彼じゃなきゃ着れないよ。
あいにく僕はあれに耐えられる筋肉量なんてないしね。これはあくまで機械さ」
律儀に答える青年が、片手でシリンダーに触れる。
「あと3発――あんたも得体の知れない技を使うみたいだけれど、僕、これで仕留められなかった相手っていないんだ」
再び――青年が一瞬にして移動した。
山本がはっと顔をあげたときには、シュラの背後に青年の姿。
黒髪の後頭部に押しつけられる銃口。
だが引き金は引けない。
シュラが上体を沈めざま、後ろ蹴りを放ったからだ。
今度こそ、と思った。山本は、鋭い蹴りが青年の身体に接触した瞬間を目視した――ところが。
気づいたときには、最初に現れたと同じ位置に、青年は佇んでいた。
――ダメージはあった。
証拠に、シュラの靴底が触れたと思しき場所を片手で抑えている。
余裕を称えていた笑顔も、僅かに色を失くしていた。
「……危ないあぶない。すごい蹴りだね。骨を砕かれるところだったよ」
「――」
ゆっくりとシュラが立ち上がった。
「――それだけの能力を持ちながら、なぜ無駄に使う」
錆を帯びた声音で問う。
――タネが分かったのか!?
極限に張りつめた反射神経で対処することは山本でも可能かもしれない。
しかし、第三者に徹したこの状況でさえ青年のトリックを見抜けなかった自分では、
戦闘のさなかに観察眼を働かせることができただろうか。
称賛というよりも驚愕で山本は舌を巻いた。
青年の表情にも、はっきりと動揺が走る。
「……ブラフでしょ?」
伺うような視線。
返らない応え。青年は沈黙に耐えることはしなかった。
「あなたが何をわかったつもりなのか知らないけどね――
僕も姉さんも、こんな能力のおかげで、子どもの頃から散々な目に遭って来たんだよ。
せっかく自由になったんだ、好きに生きたいからね。どう使おうと、僕の勝手だ」
山本の脳裏に男の声が蘇った。
軍隊、特殊部隊、超人、脱走。キーワードとなる単語は、すでに手に入れている。
そこからひとつの答えを導き出すのは、容易いことだった。
――こいつらも、人体実験の、
被害者、と呼ぶのが正しいかは分からない。
けれど“人体実験”を、かつての“人体実験”の被験者がまもることは、ひどく気分の悪い現実だった。
科学を恃みにする近代の軍事力は、もはや財力のほかに絶対的な差を生むことは難しい。
ソフト面での資源は尽きている。だとすれば、常に他国を圧倒する軍事力を求める各国軍隊が、
ハード――器となるべき人間の底上げを図ることは、何の不思議もなかったとしても。
山本が眉根を寄せた瞬間、唐突にシュラが顔をあげた。
「山本さん、退がっていろ!」
音が弾ける。青年が、消えた。
次の出現ポイントは――再び、シュラの眼前。
しかし、今度は銃声は聞こえなかった。
山本の視線が青年の像を結んだ瞬間、交替するようにシュラの姿が掻き消えたのだ。
――ちがう!
山本は目を凝らす。
青年の移動方法とシュラのそれは、全く異なるものだった。
狭い通路で、無数の残像が空気を鳴らす。
音と同じ、あるいはそれを上回る速度でシュラは“動いていた”のだ。
空間のあちらこちらが軋むのは、足場にかかる衝撃の証拠。
「――!!」
ひときわ高く音が鳴ると同時、山本の目の前で、空間が四方から裂ける。
シュラの警告に従っていなければ、山本も少なからず被害を被っただろう。
青年は反応できない。
彼を救ったのは、身にまとうフォースフィールド。
分厚い空気の壁に阻まれ、シュラの攻撃が止む。
だまし絵のようだった。シュラの身体は、絶妙のバランスで宙に止まっていたのだ。
バックラッシュはない。衝撃は確かに伝わっている。
山本がそう考えた矢先、眼前の光景は変わっていた。
「な……!?」
床の上に膝をつくシュラと、その首筋に叩きつけられる銃床。
続けざまに青年の銃口がシュラの黒髪に埋もれ、火を噴いた。
床にのめり込む弾丸。残像。次から次へと変わる景色は、細切れの映像のようだった。
シュラが青年の背後に回り込む。振り上げられた手刀がおろされる直前、ようやく青年が振り返る。
シュラの動きが不自然に止まったように見えたのは錯覚ではなかった。
銃声が響く。
喉元で放たれたはずの弾丸はシュラの肩口を抉り、壁にのめり込む。
それでもシュラは止められた動きを再開させた。
宙に走る斬線。
フォースフィールドが高圧電流の放電音に似た悲鳴をあげる。
銃傷に気づいていないかのように、シュラが、一度、後方に飛んだ。
それまでの動きに較べれば、驚くべき悠揚さだ。
見れば青年の顔は青ざめ、肩で大きく息をしている。
流れ落ちる滝のような汗。特徴的な赤毛が、この距離でわかるほどじったりと湿り気を帯びていた。
「催眠をかけて、おれの動きを止めていたな」
形勢はいまや完全に逆転していた。
シュラが言う。
「さぞや集中を要するだろう。――おれの速度に対応するだけでなく“観客”の意識も操っていたのだからな」
「――」
青年が恨めしげな視線をあげた。
つい先ほど、超能力にも限度があると言われたばかりだ。
青年が強力な催眠術を駆使して闘っていたのだとすれば、細切れの動画にも納得がいった。
試しに山本は腕時計に視線を走らせる。
――へえ。
体感していた以上に、時間が進んでいた。
「だからこそ、おまえは攻撃の際に術を維持できない」
「……モノ好きだね。わざわざ種明かししてどうしようって言うんだ」
息切れの合間に答える青年の言葉は、シュラが正解を導き出したことを教えてくれた。
催眠術、と山本は口元につぶやく。
――幻術みてーなもんか?
自問した答えは否、だった。
術士は対峙する相手の知覚権を支配することで、みずからの知覚世界に相手を引きずり込む。
青年の催眠術は、それに比べればもっとシンプルで、原始的なものだ。
あくまでも現実空間で発生される能力。
相手の行動を抑制し、その隙に行動を起こす。
単純だからこそ、幻術よりも扱いは難しく、一瞬の威力が強力なのだ。
こうした能力を戦いの場でよりスムーズに、かつ効率良く使えるように試行錯誤してきた結果、
術士は生まれたのかもしれない。
マフィアの世界が、どれほど戦いに明け暮れてきたのか、山本は改めて認識した。
シュラがゆっくりと瞬く。
「おまえは、一度おれを負かした」
「――」
「今度はおまえの全力を、完膚なきまでに叩き潰してやろうと思ったにすぎん」
「! 言ってくれる。――でもね、催眠が使えなくても、フォースフィールドは破れやしない!」
青年の顔から仮面が剥がれおちた。
悔し紛れの口調で、口端がつり上がる。
それを見ても、山本はいっそ居た堪れなさを覚えていた。
――相手が悪かったんだ。
「本当にそう思っているのか」
シュラの片手が青年を指した。
「おまえの銃もあと1発――ちょうどいい、試してみるか?」
挑発行為に見本があるとすれば、誰しもが理想とする形が、これかもしれなかった。
表情のなかったシュラの目元に嘲笑が浮かぶ。
見ているだけの山本でさえ、ぞくりと背筋が粟立った。
結着は疑いようもなかった。
催眠術の効果を発揮しきれず、耐久の限度を越えたフォースフィールドは破壊され、青年にはなすすべなどなかった。
最後の1発の弾丸ごと、バラバラにスライスされたリボルバーが床上に落ちる。
シュラが青年の喉元を突いた。
その場に身体が崩れ落ちる。
「無駄な殺しはするなと言われているのでな」
ひとりごちてからこちらを振り向いたシュラは、溜息まじりの吐息を零した。
それを迎え入れながら、
「お疲れさん――このままだとオレの見せ場ねー感じな」
ポケットから引きずり出したハンドタオルを、手当のためシュラに渡す。
そこで初めて、かれは肩口に流れた血に気がついたようだ。ちいさな苦笑でタオルを受け取る。
「さすがに生身でこの動きは堪える」
「ん?」
「少し、むきになり過ぎました」
ここから先は任せる、と言った言葉がどこまで冗談なのか見極められなかったが、頼りにされて悪い気はしない。素直に喜ぶだけでもないところは、山本の負けん気だったが、マイナス側を向いた感情には器用に蓋をして、
「おう、任せとけ」
頭の後ろで両手を組み、能天気な笑顔を浮かべて、答えて見せた。
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