The pure and the tainted

25.


「――なかに入った」
ちいさなモニターを眺めながらデスマスクが口を開いた。
単なる報告なのに、卑猥な言い回しに聞こえるのはこの男がそう仕向けているのだろう。
実際、続いた言葉は
「さすがだねェ、速ぇ速ぇ。早すぎる男は嫌われるぜ、なあ?」
「軽口叩いてんじゃねえよ。余計なことくっちゃべってる暇があったら集中しろ」
「オーケー、オーケー。安心しろって。俺ぁ美人の期待は裏切らねえようにできてんの。
 うちの賠償金もかかってんだ、大真面目にやってますって」
リクライニングに倒したシート、たてた膝のうえに載せるモニター。
要求されて渡した煙草をくゆらせるデスマスクは、有事でなければ車外に追い出している態度だ。
たとえそれが山本であっても、獄寺は愛車の中での傍若無人な振る舞いを許さない。
隣席にいるとつい咎めてしまいそうだ。外気は心地よいとはいえなかったが、獄寺は、再び車外に出ることを決めた。
――あとは待つしかねえ。
自分に言い聞かせる。
政府へのつなぎを取り、数字という証拠をつきつけて公認をとりつけ、面会を申し込んだ。
アポイントメントは工作時間を見積もって設定している。
拒否されることも考慮したが、おそらく、それはないだろう(もちろん、されたらされたで構わない。その際の計画も算段している)。
今度こそ、獄寺はくわえた煙草に火を点した。
吸い込んだ以上の力を込めて、盛大に煙を吐き出す。
足の弱まった風とはいえ、煙ははっきりと尾を描きながら、敷地に向けて流れていった。
――バカバカしいけどな。
こんなわずかな煙であっても、見逃さないでほしい。最新鋭を誇る兵器工業の研究所なのだ。
煙を見送る視線に、いっそ願いを込める。
……内部をスキャンしながら、システムに介入する技術がどれほど困難なものか、獄寺は知っている。
だからこそ、その技術は全面的に二人の侵入をサポートするために使わせた。
大丈夫なのか、と本部からはさんざん念を押された。
――大丈夫に決まってんだろ。
半ば強がりで構成された言葉を、もう何度答えたことか。
敢えてここで無防備な囮になり、セキュリティという名の兵隊を引き付けることは、
内部での作戦行動を少しでも成功に近づけるだろう。
獄寺は自分の判断が正しいことを、疑うつもりはなかった。
風の所為か、思ったよりも早く、煙草が短くなっていく。
ボンネットに腰をおろしかけた獄寺の背後。不意に、ドアの開閉音がした。
何気なく振り返れば、思いもかけずこちらに歩み寄ってきたのは、アフロディーテ。
季節外れの花の香りの発生源がアフロディーテであることに、獄寺もそろそろ気づいている。
パフュームやトワレの人工的な香りではない。
豪奢な髪を風に揺らせて、アフロディーテは獄寺の傍らで足を止めた。
「……」
考えの読めない夢見心地な瞳が瞬く。
視線の魔力に抗うために、獄寺は理性を総動員して正面を向き直った。
寒くないのか、と訊きかけ、辞める。
そういえばスヴェンスカだと聞いた。寒さへの耐性は、獄寺が思う以上に強いだろう。
尤も、だからといってこんな美女を危険の予定最前線に放置するわけにはいかない。
「危ねえから戻ってろ」
「……?」
アフロディーテが首をかしげる気配。
言われていることの意味がわからないとでも言いたげだった。
「だから――あんたは車んなかであの女、見張っててくれ」
「みはりはいらない。だいじょうぶ」
「要らないって、」
「小宇宙がつかえなくたって、わたしの薔薇で眠ったのだ。ふつうは起きないから」
ともすれば幼い、舌足らずな口調。
すべてを惑わす美貌に気を取られて見逃しがちだったが、そういえば、アフロディーテはいつも茫洋としている、ように思う。
春風駘蕩だとか春うららだとか装飾することは可能だったが、それだけでは済まない。
「まえも言ってたな、小宇宙って。なんなんだよ、一体」
「小宇宙は小宇宙」
「……」
「秘密なのだ。おしえられないよ」
どこかネジがゆるいのかもしれない。過ぎった想像は、しかし、すぐに覆された。
「君こそどうしてここにいる?」
「あ?」
「君には君のやることがあるのだろう」
哲学的な問答かと思いきや、現実問題だったようだ。
肩透かしを食らった気分で片目をすがめた獄寺に、アフロディーテはあくまでペースを崩さず、続ける。
「シュラも、デスも、自分の仕事をしている。タケシも。君にも君がする仕事がある」
淡々と紡がれる言葉。
その影で、獄寺は物音に気づいた。
――ようやくお出ましか。
遠巻きに、徐々にこちらへ包囲網を狭めてくる気配。知能が伺える。“化け物”では、ない。
――だったらオレで十分。
内心で導く算段。銃火器の攻撃には鉄壁を誇るシステーマC.A.Iがある。
肉弾戦が始まる至近距離に接近を許すほど甘くもない。
何気ない仕草を装って戦闘準備を整えようとした瞬間、うたうような、それでいて無感動な声が響いた。
「わたしにも、わたしのすることがある」
「アフロディーテ?」
「――君たちを守ること」
軽く小突かれた、としか思えなかった。
まさか、獄寺よりもよほど華奢に見える繊手のどこに、こんな力があるのだろうか。
態勢を崩した一瞬の隙に、運転席側のドアが開く。
腕を伸ばしたデスマスクによって、獄寺はあっという間に車内に引きずり込まれた。
見事な連携プレイとしか言いようがない。
呆気にとられる間もなく、ドアに続いて窓が閉められた。
「おいっ、何を、」
「黙って任せとけって」
非難の声で振り向いた先、デスマスクはすでにモニターに向き直っている。
車外にひとり放置されたアフロディーテのことなど目をくれようともしない。
その態度に怒りを覚えた獄寺は、危うく、下種野郎と吐き捨てかけ、舌打ちで飲み込んだ。
ドアに手をかける。
「やめときな、別嬪さん。いま外に出たら、あんたも毒薔薇にやられんぜ」
制止する声。
横顔はこちらを見ない。
口調に反して、眉間に刻まれた皺は深く、呼吸も不規則だ。
超能力という便利なツールを使用する代償が心身への負荷だというフィクション的な仮定が、正解なのだと告げているようだった。
思わず、黙った。
「言ってんだろ、ロディは、うちの最強の番人だってな。……黙って眺めてろ。いいもん見れるぜ」
「――」
密閉された車内、窓越しに外を見る。
豊かな髪に縁どられた繊細な横顔が、別人のように強い意志をたたえる瞬間を、獄寺は目撃した。
いままで見ていたアフロディーテは、本当の姿ではなかったのかもしれない。無意識のうちに認識が改められる。
「……」
艶やかな唇が動いた。白い指先が真っ直ぐ持ちあがり、夢のように静かに、ゆっくりと掌が上を向く、その途端。
溢れかえる鮮烈な色彩。宙を舞う、無数の花弁。
獄寺の視界は、見る間に、一面の薔薇で埋め尽くされていった。