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The pure and the tainted
20.
「――来た」
山本がそう呟いたとほぼ同時。
ゲストルームのドアが音もなく開く。
休んでいるものだとばかり思っていたが、姿を現せたシュラは、まるで寝起きの様子などない。
獄寺は舌をうつ。
「新しいデータが届いたばっかりだってのに」
山本とシュラ、ふたりがほぼ同時に応えた。
「獄寺はここにいて」
「迎え撃ちます」
頼む、と短く返す。
シュラが背後をふりかえる。
「デス」
「へえへえ、言われなくても策敵しとくわ」
「頼む――もし飛び火したら、ロディ、ふたりを守ってくれるか」
「ふたり」
「獄寺さんとデスだ」
「……ん」
わかった、と舌足らずな頷きが返る。
さすがに戸惑いを隠しきれなかった獄寺が何か言うより早く、デスマスクが口を開いた。
「あんたはあんたの仕事に集中してなって、別嬪さん」
まるで脳裏を盗み見たかのような一言に、視線が曇る。
だが今はそれが正論だ。
もう一度だけ、ちいさな舌打ちをした獄寺は、新たに送られてきたデータへと意識を集中させた。
刀を掴んだ山本とシュラが、それだけで人を射殺しかねない殺気の発生源目指して外へと躍り出る。
威嚇のように空中に咲いた火花は、獄寺たちのいる室内を照らしだした。
ようやく夜が薄れ始めた時間に、真昼のような輝きを持つ灼熱の塊が、断続的に宙に爆ぜる。
ベランダから屋根へと飛び上がった山本は、同じ軌道で隣に立ったシュラへ、
「向こうさん、カード混ぜて来たみてーな」
向かいの建物の屋根に臆すこともなくシルエットを浮かびあがらせた襲撃者を見る。
シュラが頷いた。
「――発火能力者と」
「馬鹿みてーにごつくてかてぇやつ。ほかはいねーかな?」
「いるかもしれんが、網はかけてある」
「網?」
「戦力としては論外だが、ヤツの超能力は信頼に足る。気にせず思う存分闘ってくれ」
思わず山本は肩をすくめる。
かれの水準がどんなものかは知らない。
論外であっても、山本は今日、デスマスクの驚異的なまでに強靭な身体能力をまざまざと目撃していた。
論外――論内がどんなものなのか、お手並み拝見、とこっそり呟く。
余興時間の幕引きは、空中の炎が終息することで行われた。
「出て来たわね――ちょうど良かった、アンタ、まだいたね。いい心がけじゃない」
「そっちは雨の守護者か。生きてやがったとはな。運のいい野郎だ」
甲高い女の声と、巌のような胴間声が続く。
はは、と笑い声で返した山本は
「オレ、運がいいのはとりえでさ。――で、あんたらは? こんな時間に何の用?」
「しらばっくれてんじゃねえ、クソが。今度は息の根、止めてやる」
「それは困るのな。っつーか、連れてかねーでいいの?」
「うるせえ、クソジャップが!!」
男が吠えると同時に女が笑った。
「ほんと、妙なヤツばっかり。気持ち悪いったらないよ。そういう能天気、嫌いじゃないけど。
馬鹿にされてるみたいで腹が立つ」
「悪ぃ」
軽口で頭を掻きながら、ふたりはそれぞれの間合いを取る。
「そのヘラヘラしたツラで、アイツを殺ったんだね」
アイツ、というのがスナイパーの女を示していることに気づくまで、時間がかかった。
山本はちいさく舌を嘗める。
“仇討ち”という名目を振りかざされるのは苦手だ。
よしんばそれが名分だけだったとして(そうした敵と少なからず対峙したこともある)、複雑な感情が生まれるのは仕方ない。
「山本さん」
呼ばれてちいさく頷く。
男が獣のような蛮声で吼えた。
何の前触れもなくふたりの正面に炎塊が生まれた。
「!」
熱気が肌を灼き、視界が一瞬、奪われる。
炎をがはじけ飛ぶ。無数の火弾が降り注いだ。こちらを包み込もうとでもするかのような軌道。
寸分の隙も与えず追撃してきたのは、巨大なコンクリートの塊だった。
――屋根、むしりとったのか!?
足場を狙う炎と男の膂力が生み出した破壊弾、ふたつを同時に避けつつ、こちらの建物を守るのは至難の業に見えた。
だが。
シュラが身を低く前方に飛び出す。
山本も足場を蹴った。最速のヘッドスピードで刀を抜く。鎮静の炎を纏う。
ふたりの剣風が宙を裂いた。
無数の炎ごと、コンクリートに斬撃が走る。
空中でシュラが方向を変える。
細切れになったコンクリートが道路に注ぎ落ちる前に、山本は敵の間合いに着地した。
そこを待ちかまえられていることは、想定済みだった。
眼前に迫った男がにやりと歯を剥く。
目にとまらぬスピードのフックが山本を迎え入れた。
自分を疑っては駄目だ。避けられる、と信じて重心を倒す。
靴底が足場を感じる。初撃がフェイントに過ぎないことは撃った本人も撃たれた山本も了解していることだった。
頭上から襲いかかるハンマーのような拳。
身をよじる。雨の炎を刀身の一点に――受け止めるその場所にコーティングさせてなお、
手首にかかった衝撃は凄まじいものがあった。
足が沈んだ、と思ったのは錯覚ではない。
身体を支えるコンクリートの足場が抉れる。
押し返すのは不可能。迷いなく次の行動を決定する。
――それが読まれていることなど、じつは、どこかで予測していた。
「やっべ!」
巨体が動いた。
ひとかかえもありそうな大腿が瞬速の蹴りを放つ。
間一髪で、山本は身体を横ざまに倒した。
避け切れないことを悟り、蹴りと同じ方向に飛ぶことでダメージを軽減させる。
それでも、かれの身体は数メートルも横に飛び、みぞおちの上あたりに重い痛みを覚えた。
「いってぇ……っ、」
左手を走らせた感触では、幸い、筋骨への損傷はない。
「食った直後だったら吐いてたぜ」
「――立てや」
男の声が響く。
「それくらいでへばるわけじゃねえだろうな、え、ヤマモトタケシ」
ぼき、と太い指を鳴らしながら男が悠揚と近づいてくる。
峰ではない、雨の炎を纏った“刀身”で受け止めたはずの拳は、案の定、傷一つ負っていなかった。
不快な空気の塊を足もとに吐き捨てて、山本は身構える。
「言われなくても立たなきゃ負けちまうだろ」
「そうでなくちゃなあ」
露骨に見下した口調。瞬間、五指を広げた平手が突きだされる。
距離感を逸させるスピードで詰められる間合い。冷や汗が額を伝った。
歪んだ笑みで後方へ飛び、下段から刃を跳ねあげ鉄指を防ぐ。
――次、右!
考えるより早く身体が動く。
浚い上げるような男の腕。掴まれたら終わりだ、と悟る。足は出せない。
山本はバックステップの容量で再び間合いを取った。
「無様じゃねえか、かわすだけとはな。猿にゃお似合いだ」
「オレが猿なら、あんたは熊かな」
「グリズリーは地上最強の猛獣だ、褒め言葉にしか聞こえねえな」
生憎と山本の脳裏に浮かぶのは、生まれる前のB級映画。
お笑いネタじゃん、と思わず笑いかけた。
掌の汗を感じる。順に五指を開閉させて、山本は柄を握りなおした。
「そんな細い日本刀がオレに通用しないのは分かってんだろ、クソ猿が」
「はは――あんた、ほんっとクソクソ言うのが好きな。きったねえの」
「ほざいてろ!!」
内臓を揺さぶる振動は、男の重心移動によって生じた余波。
――マジで、
やばい、と脳裏に去来した一言は押し隠す。
山本の動体視力と反射神経でも易々と捉えさせない巨躯の速力。鎮静の炎をして、威力を抑制するのが精一杯だ。
気を抜いたが最後、男の“武器”は山本の全身を砕くだろう。
「――っ、」
……唐突に、山本は男の表情を見た。
「あんたさ、――もしかして、怒ってる?」
何気ない一言。
男の動きがぴたりと止まった。
「怒っているか、だと……?」
「――」
「よくもぬけぬけと――」
日本人に対する究極の蔑称を、歯軋りのように吐き出す口元。
「怒っているか、だと? 当り前だ!! イケ好かないアマだったがな、あの女はずっと相棒だった!!!」
「……」
男が吠える。
慟哭の音色になど気づかなければ良かった。
――だから、オレのこういうところ甘いって。
自分に言い聞かせる。
後悔はしない。けれど罪悪感を払拭できるほど、かれは人間としての感情を置き去りにできていない。
正当防衛だったという全うな反論すら、湧きあがった同情心には敵わなくなる。
理解できるからだ。
こんなふうに敵対する相手の視点が自分と同一になるのは珍しく、危険なことだった。
だから、山本は敢えて会話を選んだ。危険と同時に、こうして反撃の糸口を探るのは、
彼にしかできない――彼だからこそ出来る戦法だった。
「もしかして、好きだった?」
「は――パシフィストもそこまで突き抜けりゃ、幸せだろうよ」
「ちげーの?」
「何度もファックしてやりてえとは思ったがな――それ以上なんだよ!」
蹴りあげられたコンクリートが礫となって襲いくる。
捌き切る。男の拳に較べれば、耐久に優れた人造石も紙のようなものだった。
「あの女とは数え切れねえ戦場を一緒に渡り歩いた! いくつも村を、町を壊滅させた! 殺した人数を競った!
女もガキも、ババァもジジィも、誰かれ構わず殺って、殺って――ファックするよりはるかに快感だったぜ!!」
同じ嗜好を分かち合うことが、狂った精神状態に愉悦をもたらしたのだ。
まったく異なる能力を持ちながら、共通の嗜好が理解という錯覚を生み、強く結びつけたとしても不思議はなかった。
「あんな女とは二度と巡り合えねえだろうよ――ヤマモトタケシ、だから、てめえは許さねえ」
「……」
「虫けらみてえに手足引きちぎって、無様に地べたを這わせてやる。依頼なんざクソくらえだ。
てめえを殺ったら、奥に隠れてるてめえの相棒もぶち殺してやる」
男の双眸が醜く輝いた。
「綺麗なツラしてやがったなァ。直ぐに殺しやしねえ。
ケツにぶちこんで、ひいひい言わせながら腸引きずり出してやる!」
自らの“予言”に酔いしれていた男は、だからこそ、自らの失策に気づくのが遅れた。
山本が称える気配の変化は、明らかだったというのに。
――サンキュ。
昏い双眸を男に向け直しながら、山本は内心で男に告げた。
これで心おきなく、できる。
男の発言は、鈍った切っ先を取り戻させるには充分すぎた。
「一瞬、同情しかけた。けど、そんな価値はねーな」
「負け惜しみか? 好きに吼えろ」
無差別の快楽殺人。罪もない人々を手にかけて悔いもしない歪んだ性根。加えて、男の放った予言。
山本は掌に交互に唾を吐きだして、愛刀をしっかりと握りなおした。
「やる気か? いいぜ、来い。てめえなんぞに、このプライベート・トーチカが破れるはずがねえ」
パワードスーツに包まれた胸板を拳で叩き付け、男が肩を回した。
満ち溢れる自信。要塞の名を冠するだけあって、男に驚異的な能力をあてがうスーツは、たしかに面倒な代物だ。
だが――山本は、先ほど一瞥したシュラの“剣”を思い返した。
まるで空間ごと切り裂く勢いの剣圧だった。
雨の炎が原子の活動を鎮静させるように、あの“剣”は、原子を切り裂く深度に達していた。
分子として結合させることすら許さない深度。
同じ深さで斬ることができれば。
描かれた太刀筋を“見る”ことで学習できる能力は、特筆すべき山本の強みだった。
「いいぞ、真っ向勝負といこうじゃねえか。
てめえのサムライごっこがどこまで通じるか、たっぷり骨身に沁み込ませてやる!」
男が拳を打ちならした。
足が地面を蹴った。
――時雨蒼燕流十一の型、
タイミングを合わせ、山本も構え、飛び出す。
刀身が青白い炎に包まれた。白み始めた空に、それはほの暗く輝く。
山本の目は、攻撃すべき対象を捕える――精確に。目標は男の拳ではない。
空間を、原子まで、深く。届かないならば、届く深度まで、雨の炎で“鎮める”。
連続で繰り出す突き。
スピードと破壊力が渦を巻いた。
刃先が男の拳に触れた。
0.01秒。
次の0.01秒で、二撃。手応えに変化が生じる。
更に続く0.01秒――男の表情が変わった。
鉄壁の硬度を誇るパワードスーツに、僅かな疵をはっきりと感じたのは、直後。
――いまだ!!
「時雨蒼燕流八の型」
大きく踏み出す。
「篠突く雨!!」
流れるような体移動。
切り裂ける深度へ――山本は手首を返した。
「!!?」
男の拳に斬線が走った。
驚愕に男が目を見開く。
まるでCGエフェクトのようだった。
拳が、綺麗に裂けていく。
「なッ、」
手首へ、肘へ――深くなる傷を止められなかったのは、男の破壊力による自業自得でもあった。
「――ッ!!!」
それでも男は悲鳴ひとつあげなかった。
戦いに明け暮れた戦士としての矜持だろうか。
懐に飛び込んだ山本へ、もう片方の手を伸ばす。
「!」
とっさに半身を返し、横薙ぎの威力に山本は刀身を合わせた。
男がにやりと笑う――手はブラフだった。
山本の目の前でそれはぴたりと止まった。
五指が拡がる。巨大なグローブのようなそれ。
手首から飛び出した射出孔を見てとった瞬間、山本は奥歯を噛みしめた。
――小型ミサイル!?
ペンシル型の火器など、いまやテロリストでさえ常備できる武器のひとつだ。
細い空洞の奥に炎が灯った。
かわせるはずはなかった。そういう距離だった。
男が勝利を確信した次の瞬間。
「――九の型、うつし雨」
目前の爆炎は、いつの間にか現れた水の壁に吸収されていた。
振り返りかけた男の身体に縦に走った斬線を、男は見ることができなかった。
どう、と轟音をたて、男の身体が“左右”に倒れた。
「……ふー」
あざやかな切り口と、生命活動の停止を確認した山本は、長い息を吐き出して、肩の力を抜いた。
「あー、くっそ、硬かった!! こんなに炎、消費すんのも久しぶりだぜ」
口ぶりだけは余裕を嘯いて、額に滲む汗をぬぐう。
さげた抜き身についた血脂は一払いで落とす。
思い出した腹部の痛みには片手を添えただけで、何事もなかったかのように、山本は首をめぐらせた。
隣接した建物を1つ分、またいだ向こうで、シュラがこちらを振り返る。
小脇には、ぐったりと赤毛を乱した女を抱えている。
「……なんかオレらのが悪人みてーな」
山本がたてた軽い笑いを合図に、ふたりは踵を返した。
空には朝焼けの色が焼き付いていた。
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