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The pure and the tainted
19.
ディスプレイに表示されるデータを見つめながら、獄寺は溜息をつく。
手を伸ばしたマグカップ、冷え切ったコーヒーを口元に運ぶ間も、次から次へと送られるデータから視線を離さない。
窓の外に落ちた闇は深い。
本来ならばあり得ないほどの静寂が街を包んでいる。
深夜であっても、完全に寝静まることのない街なのだ。
戒厳令による経済活動の停止を考えると、頭が痛い。
今日一日で何億の損害が出ただろうか。試算する気にもなれなかった。
――尤も、そんな損失も織り込めるだけの相手ってことだろうが。
ダミー会社の親元を辿る作業は、シェンゲン協定の弊害で、国境をいくつもまたぎ、まだ突きとめきれずにいる。
並行して、振り込み日とその日に流動した経済、以降の変化をデータとして収集しながら、
獄寺は、もろもろの条件に該当する相手を探し出す。
その作業は、思った以上に手間がかかった。
「――まだ起きてんの」
電気ひとつ点けず、真っ暗な室内でパソコンとにらみ合っていた獄寺の背後。
シャワールームから出て来たばかりの山本が、足音を殺して近づいてくる。
声もひそめているのは、ゲストルームで休息を取っている客人のためだ。
ふだん滅多に使用されないゲストルームがはじめて役に立った。
「おう」
と応える獄寺の声も低い。
間近に体温。肩口に、山本の腕が回された。
「終わりそう?」
「ああ……と言いたいところだけどな。まだかかりそうだぜ」
「休まねーでへいき?」
「馬鹿、休んでる暇なんざねえよ。早ぇとこ正体つきとめて、日常に戻さねえとえらいことになっちまう」
山本の腕にわずかに力が加わった。
マグカップを戻し、あいた手で、獄寺は山本の二の腕を軽く叩く。
視線は文字列を追いかけ続けながら、
「これはオレのするべき仕事だってわかってんだろ?」
「わかってる」
「その分、ガチ勝負じゃてめーに任せてるだろ」
「ん」
甘えるように、山本の手が獄寺の髪を梳く。
単にじゃれつく仕草ではなかった。その証拠に、獄寺は、強張った神経はが少しずつほぐれていくのを感じた。
それを心地よいと素直に感じられるようになったのがいつからなのかは忘れた。
――オレが甘やかしてやってんだ。
そう自分に言い訳をする癖だけは抜けず、けれど、獄寺は、山本が首筋に顔を埋めるのを止めなかった。
山本の顎先の傷跡を、肌に感じる。
「隼人、せっかくの休日だったのにな」
「休日で幸いだったぜ。朝グダグダ寝てられたかんな。おかげで今も頭、はっきりしてっから」
「不規則な生活って、よくねーんだぜ?」
知ってた? と訊く山本自身、野球少年だったころの規則正しい生活が嘘のように、不規則な毎日を送っている。
どの口が言うんだか、と鼻先の一笑に付してやりながら、獄寺は山本の腕にとどまっていた手を、濡れた黒髪に絡めた。
「おまえこそ、そろそろ寝とけよ。いつまた駆けずりまわされるかわかったもんじゃねえぞ」
「だいじょーぶ。なんかそんなに疲れてねーし」
「ビルひとつぶっ壊しといてかよ」
「や、体力は使ったけどさ。そんなの、隼人にひっついていりゃ直ぐ回復する――っ痛て」
頭を撫でていた手をかえし、堂々と超理論を展開する男の鼻先をつまんで、引っ張る。
音をたてる勢いで離せば、山本がふてくされたように口をとがらせていた。
この段に至って、獄寺はようやく正面から視線を外した。
眉間を2度、揉んでから、短い吐息で体重を山本の腕に預ける。
「馬鹿言ってねえで、マジで休め。いつ何が起きるかわかんねえんだからな」
「や、ほんと、大丈夫なんだって。なんて言やいーのかわっかんねーんだけどさ、デスが動きやすくしてくれたからさ」
頭を使わずに済んだ、とこともなげに言う。
戦闘中、さまざまに考えをめぐらせることが最も苦手なことは、獄寺も知っている。
だからこそ、山本は“真剣勝負”の場に第三者が居合わせるのを好まない。
自分と相手の攻撃の余波が周囲にどんな被害を及ぼすか、算段しながらの戦闘が思いのほか厄介なことは、獄寺も知っている。
誰かいんのに本気なんて出せねーよ、とへらへら笑いながら言っていた山本を思い出した。
昨今ではそこまで集中を要する戦場においやられることもなくなっていたが、おそらく、いまはその時だ。
「……」
血生臭い習性を山本に与えたのは間違いなく自分だ。
分かっているから、謝罪は口にしない。そんな時期はとうに過ぎている。
それでも、時として無意識に思い浮かべてしまうのは、過去の自分が想像した“こうならなかった未来”の映像だ。
人を殺す道具ではなく、クラブを提げたバットを肩に担ぐ山本は、どんなふうに笑うのだろうか――。
「おまえのが疲れてんじゃね?」
ゆっくりと伏せた視線を、悪戯めかした口調が追いかけてきた。危うく我を取り戻し、獄寺はことさら眇めた視線を真横に投げる。
「馬鹿にしてんのか、てめえは」
「してねーけど。疲れたときって、ロクでもねーこと考えるっていうじゃん」
「んなヒマねえよ、馬鹿」
わざとらしい溜息で獄寺は瞼を抑える。
長く整った睫毛が乱れるのも気にせず、乱暴な仕草で瞼の上から眼球を押し、くだらない想像は一蹴した。
そして、
「あいつら、何者なんだっての考えただけだ」
「ん? ああ――そーな。ちと、気になるよな」
「ちと、じゃねえよ。あり得るか? 生身の人間が」
「超能力者なんじゃね? そーいうの、隼人、好きだろ?」
その単語がどれだけ魅力的な響きで獄寺の心を占拠してしまうのか、
生憎、学習能力のない山本には未だに想像ができないらしい。
自制は咳払いで済ませる。
「そうだとしてもだ」
現状、多いに助かっていることは事実である。普段も、何事もなく社会に混ざって生活していることも。
だがはたして、警戒する必要がないとは言い切れない。
現代科学にとってはオーパーツともいうべきマフィアの秘術同様、野放しにしていいものではないのではないか。
知らず、視線はゲストルームの閉じたドアに流れた。
押しとどめたのは、またしても山本の声だ。
「ま、いーじゃねーか。力強いことには変わりねーよ。
ぶっちゃけ、オレひとりだったら朝っぱらのだってどーなってたかってところだし。戦い慣れてるし、強ぇし」
「あんな美女が、な」
山本の言葉が嘘でなければ、朝方の襲撃者を撃退するにもアフロディーテが一役買ったと言う。
しかも、留守中、ここを訪れた不審者でさえ、対峙して何食わぬ顔をしていた。
浮世離れした美貌に、いつもどこか寝惚けたような表情をたたえた絶世の美女が、
ボンゴレの守護者と肩を並べて戦う姿は、言葉として飲みこめてもまったく想像ができない。
ましてやシュラの気にかけ方は納得できるが、
デスマスクときたら、アフロディーテを率先して闘わせることに躊躇もなかったという。
「よくケンカにならねえもんだぜ」
「なにが」
「あのふたり。――ふつう、キレるだろ。てめえの女を戦場にひきずりだしたら。
幼馴染だか家主だか知らねえけど、出てったっておかしかねえだろ」
「あーそれ。……たぶん、問題ねーんじゃねーのかな」
ゲストルームには一基のベッドと一組の布団しかないにも関わらず、
3人が「そこでいい」と言った意味には、まだ気づけない。
「ってかさ、はやと、まだそんなの気にしてんの?」
「気になるだろ」
「なんねーよ? あいつらはあいつら。オレらはオレらだって」
言いながら山本の唇が獄寺の隙をつく。
はっとしても時は既に遅い。
かすめ取られたキス、直後に力任せに押し返した。
「馬鹿野郎、こんなときに何やらかしやがる!」
「充電させてよ、少しくらい――ってか、痛いって、隼人、鼻つぶれる!」
「つぶれちまえ、たいして高くもねえだろうがよ!」
「痛い痛い、」
悲鳴をあげながらも1ミリとて離れようとしない山本をなんとか押し返すことに成功した直後、
ディスプレイの表示が動きを変えた。
ふたりの表情が変わる。
「隼人」
「ああ」
息抜きは終わりだ。
獄寺は態勢を質す。
その肩越しにディスプレイを覗きこもうとした山本が、不意に、背を伸ばして首をめぐらせた。
細めた視線が、まだ明けない夜空を切り取る窓に向けられた。
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