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The pure and the tainted
18.
報告を受けた瞬間、女は天を振り仰いだ。
「なんてこと……!」
無数のモニターの明滅が、女の横顔を不気味な色彩で染める。
実験室のモニタールームには、しばし、女の怒気だけが渦巻く。
女が正面を振り向き、強化ガラス向こう実験室に視線を戻すまで、それは、室内をくまなく支配していた。
女の視線は羊水にたゆたう胎児のような怪物たちを見る。
人間の遺伝子にほんのわずかな細工を施し、作り上げられた怪物。
新たな兵器として軍事産業に革命を起こす実験も、しかし、女にとってはまるで二の次のようだ
。実際、この実験の成功によって彼女が手に入れるであろう栄誉も富も、あくまでも副産物でしかない。
科学者らしく飾り気のない爪を噛んだ女は、ややあって、身を翻した。
急ぎ足でモニタールームを出ると、ビジネス・パートナーの意向とはべつに、
彼女自身が雇い入れた傭兵たちが待機するゲストルームへと向かう。
冷静に見える横顔は足音が裏切っていた。
ゲストルームの扉をくぐるやいな、いらだちを極力抑えた声音で、
「あなたたち、今の話は本当なの?」
最初の答えは、壁を殴りつける不快な音だった。
防弾・防音・耐熱あらゆる硬化加工を施された壁に亀裂が走る。
薄汚れた歯を剥きだした巨漢が獰猛な唸り声をあげた。
「くだらねえ嘘をついて何になる?」
「――」
強化スーツによって何倍にも膨れ上がった筋肉が怒気で痙攣している。
眇めた目で、女は室内を見回した。
――大したことのない連中だわ。
そう吐き捨てたくなったが、下手な挑発が命とりになることを女は理解している。
室内を改めて見回す。
……ひとり、足りない。
「ボンゴレの“守護者”だけでなく、おかしな技を使う護衛がおるようじゃ」
影のなかから老人の声がする。
独白めいたそれに愉悦の響きを聞きとったのか、巨躯を震わせて男はもう一度、うなった。
真偽を問いただす女の視線に、赤毛の青年が頷いた。
「危うく姉さんが死にかけました」
「あたしの炎を切り裂きやがった!」
興奮気味な甲高い声。
「一瞬で骨まで焼き尽くす炎をだよ!?」
「姉さん、落ち着いて」
「うるさい!」
粗野な印象をあたえる顔に、年頃の女性に相応しい感情が浮かんだ。
満々とした殺気よりも、よほど、彼女にはあっている。
「しかも、あいつは殺された!どういうことなんだよ!? あたしたちをものともしないなんて、
そんな力を持ってるなんて一言も聞いちゃないよ!」
「あのクソアマの跳弾がひとつもあたらなかった。ステルス・スーツも着ていた。
なのに、あのクソみてえなチンピラに、」
激昂する赤毛の女と巨漢を、老人の枯れ枝のような手が制した。
「注意すべきは守護者、といっておらなんだかの」
「ええ、そうよ」
「ふむ。では、あれは想定外ということかの」
「……」
科学に従事する者としての矜持が、想定外、という3文字に反応しかける。
だが、女は冷静を装い続けた。
もうすぐだと思っていたゴールが、直前で障害物に阻まれた――その苛立ちもあいまって、
女はこめかみに鈍い痛みを覚えていた。
落ち着くために、女は大きく息を吸った。
たかが金目当ての薄汚い傭兵だと思っていたが、あぶれ者同士で、多少なりとも仲間意識があったらしい。
政府の認可しない非公式な軍人。
超戦士という有難くもない肩書きのため、あらゆる科学兵器の開発実験のモルモットにされてきたかれらが、
みずから必要とする武器を手に、軍を逃亡したのは女でなくとも納得できる事実だった。
合衆国政府がかれらの存在を認めないがゆえに、脱走兵として公式に国際手配できなかったことを逆手に
、傭兵としてさまざまな戦場で暴威をふるってきたかれら。
女、子ども、老人、敵味方の区別さえなく、殺戮の技術を見せつけることを生甲斐としていた凶悪極まりないチームから、死者が出た。
――なにを驚くことでもないわ。
女は室内の4人を順に見回す。
――そう、私の知っている“マフィア”なら、これくらいは容易いでしょう。
たとえそれが守護者の名を冠さない人間であったとしても、圧倒的な能力の持ち主が現れてもおかしくはなかった。
自ら人道を踏み外す手段を選んだ瞬間から、彼女の脳裏にはさまざまな“未来”が描かれてきている。
――なんのために今日まで来たの。人の命をもてあそんで、踏み台にして。こんな薄汚れた連中と付き合い、無能なクライアントに耐えて。
それらはすべて“マフィア”――本来、彼女が住む世界とはまったく相いれない世界に接点を持つためだったのだ。
女は気を取り直した。
「私の依頼は変わらないわ」
思った以上に冷淡な声音が紡がれた。
「守護者を連れて来なさい。余計な邪魔は排除するのよ」
「……なぜ、連れてこい、なんですか」
「あなたたちに答える義務があって?」
青年が肩をすくめる。
「いいこと、あなたたちにどんな犠牲が出ようと、それは私の知ったことではないわ。
速やかに依頼を実行して頂戴。
残りの実験体も、明日の昼には稼働できます。
最後の実地実験よ。あの男の財力で馬鹿な政府を抑えておけるのも後少し。それまでに、必ず」
「被験体にでもするつもりかの? ふむ、たしかにそこいらの浮浪者どもよりは、素地がある分、使い勝手もよかろうが」
「詮索はあなたたちの仕事ではなくてよ」
言いながらも、内心で女はほくそ笑む。
年の高という厄介なスキルを持った老人にも、女の真意は探り切れなかったようだ。
当り前だ。
彼女があの守護者に拘泥している理由に見当をつけられる者など、いるとは思えなかった。
もしいたとすれば、それはくだらないSFやファンタジ―――フィクションとノンフィクションの区別をつけられない愚か者だろう。
彼女自身が、時折、自らの経験が人格障害の類ではないのかと疑うことがあるくらいなのだ。
「報酬が欲しければ、忠実に依頼を実行するのが筋でしょう?」
念を押すように言い置いて、彼女は踵を返す。
――何人死のうと、知ったことではないわ。
翻した背で呟いた声は聞こえなかっただろう。
だが、それでも彼女が去った後、巨漢と赤毛の女は怒りを鎮めるどころか、煽られたようにいきり立っていた。
「どうします?」
穏やかともいえる笑顔で青年が言った。
こんな場所でなければ人好きのする笑顔――だが、こんな場所だからこそ、その笑みは不気味だった。
ふむ、と答えた老人も、世間話の態を崩さない。
「わざわざわしらが出向かずとも向こうからやって来るようには仕向けられるがの」
「冗談じゃねえ!」
先ほどとは違う位置で、男の拳が再び壁に損壊を与える。
「これだけコケにされて、黙っていられるか!! オレは行くぞ。
あいつら、生きたまま手足をもいで、死ぬよりひでえ目に遭わせてやる!」
「ほどほどにしないと契約違反ですよ」
「あんたは黙ってて」
青年を制したのは赤毛の女だ。
ふたたび、かれは肩をすくめる。
一応は姉という立場の存在を尊重する意志があるらしい。
「あたしも行く。あの野郎――よくもあたしを」
「今度は助けないよ、姉さん」
振り返りざまに女の平手が閃く。
青年はそれを避けようともせず、自らの頬を鳴らした姉の顔を見下ろした。
そのまま会話は途絶える。
出撃のためにみずからの武器の調整を始めた姿は、頭に血が上っているとはいえ、さすがと言えた。
老人がさして面白くもなさそうに笑い、
「わしはここで待つが」
「僕もそうしますよ。あなたは仕向けられるって言ったからね。だったら、仕向けてもらいたいな」
「ふむ、調子の良いことじゃ」
「そうじゃないですよ。僕の本領を発揮するには、ちょっとでも多く休まないとだめだからってだけ。
本当なら姉さんもだけど。あの様子じゃ休めと言っても無理だろうね。
まあせいぜい、足を引っ張るような死に方をしないでくれればいいけど」
「そう甘い連中かの?」
「さあ――僕が会ったひとたちは、少なくとも、女を捕まえて手足斬り落として薬打って
レイプするような連中には見えなかったな。自殺の時間くらいくれるでしょ」
「――ふむ」
もうひとりの女は一撃で原形をとどめなず落命したが。
もっとも、背を向ける赤毛の女も、死んでしまったスナイパーの女も、老人にとってその生死を気にかけるほどの相手ではなかった。
「ま、いささか割に合わん気もするがの――仕事じゃ。そつなくこなすのが無難じゃて」
公園の散歩帰りのような風情で腰を叩いた老人は、ひとりごちるとその気配を消した。
妖怪じじい、と口の動きだけで呟いた青年の目の前では、臨戦態勢を整えた2人が、
青年の存在などないもののように、足早に室内を出て行こうとしていた。
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