The pure and the tainted

17.


石造りの競馬場は巨大なスタジアムのすぐ裏手にある。
サンシーロ競馬場は、イタリアン・オークスやミラノ大賞典が行われる由緒ただしい競馬場だ。
ギャンブル好きにとってはあこがれの場所である。
広大な敷地、シンボルとなった競走馬の彫像前で合流したかれらは、
一息つく間も惜しんで、“フランコ爺さん”を探して周辺をめぐった。
開けた大通りの向こうには、巨大な夕日が陽炎のように揺らめきながら、地平線に吸い込まれていこうとしている。
「……だめだ、見あたらねーよ」
溜息をついた山本が、肩を落として頭を掻く。
首肯をひとつ、愛車のボンネットに軽く腰を寄せたまま、獄寺は腕を組んだ。
答えようとした瞬間、片手に握りしめていたスマートフォンがふるえる。
調査を命じた部下からの報告だ。
着信1秒未満で耳元にあてた獄寺は、頼んだ仕事を着実にこなした部下の報告を聞く。
視線は周囲にめぐらせる。
山本と逆の方角からは、シュラがアフロディーテを連れて姿を見せた。
目が合った瞬間、軽く首が横に振られた。
あちこちに焦げ跡のついたジャケットを捨てたシュラは、Tシャツ一枚になっている。
視線を巡らせれば、山本のスーツも穴があき、埃だらけで目も当てられない。
獄寺の愛車のバックシートでぐったりしているデスマスクにいたっては、どこの戦場帰りかと思うほどの様相だ。
「――」
舌打ちがこぼれた。
報告を終えた部下に続けざまの調査を指示し、獄寺は通話を終える。
スマートフォンを片手にひらめかせながら、
「ものの見事にダミー会社だったぜ」
それだけで彼らには通じた。
どこからかため息が漏れる。
「親元は引き続き探させてる。それまで待機だな」
「じいさん、大丈夫かな」
山本が心配そうに首をかしげた。
セレスピードの傍らに停められた真っ赤なムルティストラーダに近づき、手持無沙汰にハンドルに手をかける。
そのまま山本は、アフロディーテを振り向いた。
「4時までここにいるって言ってたんだろ?」
「ん」
「オレら一応、間に合ったよな」
アフロディーテが連絡に気づき、来訪者を撃退するや否、山本とデスマスクに報告した。
デスマスクの負傷を鑑みて、アパートメントに戻る予定だった山本も、そのままサンシーロに直行。
同時に獄寺たちにも連絡を取り、結局、競馬場が合流地点となった。
――銘々がこうむった被害と状況報告は、集合までの間で済ませた。
本部での調査は遅々として進まず――被疑者が多すぎたせいで――
一滴をうがったのがデスマスクだったことに、獄寺としては忸怩たる思いを抱かざるを得ない。
『フランコ爺さんの口座に5万ユーロあった』
移動中の報告だった。なぜかれがそれを調べられたかの追及は避けた。
『振込先と日付まではわからねぇから、調べてくれや。あんたらならものの十分もありゃ、調べつくだろ』
「関係があんのかよ。無駄な手は割けねえぜ?」
サンシーロに向けて車を走らせながら、オンフックでの会話。
激しい風切音は、デスマスクが山本のタンデムシートで電話をしている証拠だ。
『あの素寒貧の爺さんの口座に5万ユーロもあるなんて不自然なんだよ。
 3ユーロの酒もツケで飲むような爺がだ』
「それだけじゃねえだろうな」
『……あの爺ぃ、近いうちにうちのツケを帳消しにするって息巻いてやがった。
 浮浪者が行方不明になる事件、あったろ。ちょうどその辺りだ』
“人造のクリーチャー、犬のように従順なモンスターを作りたがっている”。
だとしたら、その材料は?
調達を斡旋し、実験の日付を見計らい避難した――そう考えることもできる。
『飲んだくれのろくでなし爺だったが、心底悪党にゃなれなえよ。そういう爺さんだった』
罪悪感に駆られて電話をしてきたのだとしたら、無関係と考えるほうが不自然だ。
浮浪者の失踪も、山本の部隊が見回りを徹底している地域で起きた出来事だけに、謎な部分があった。
何人もの人間を連れ去るような不審者が目撃されなかったのも、住人の誘導だったとすれば納得はいく。
デスマスクも、そうした事件との関係性にひっかかりを覚えていたと言う。
もっとも、ただの勘で現場を巻き込みたくはなかったからこそ、黙って行動に出たのだ。
ハンドルを握る獄寺のとなりで、腕に負った傷を申し訳程度に手当していたシュラが眉をひそめた。
「やはり、“あれ”は」
つぶやきに一瞥を送る。
今朝方、かれが退治した化け物。硬い装甲のしたは、確かに生き物の血肉の感触だったとかれは言った。
無愛想な無表情にわずかな険しさが浮かぶ。
どんな手品かは知らないが、手刀ひとつで切り裂いた相手が、もしかしたら顔見知りだったかもしれないのだ。
だが、打ちのめされた様子はない。
――どんな生き方してきたんだか。
思わず内心で呟く。
生殺与奪をめぐって危険に身を晒し続けているのは、マフィアであるかれらにとっては日常のことだ。
しかし、存外、危険因子というものは世界のあちこちに転がっているらしい。
「……わかった。口座名義と番号教えろ。その線もあたらせる」
そうデスマスクに伝えてから、サンシーロで合流し、ものの数十分も経っていない。
開け放したセレスピードの窓から、デスマスクの口笛が聞こえる。
ボンゴレの組織力に舌を巻いたとでも言いたげな片笑い。
敢えて無視して、獄寺は乱暴な仕草で銀髪をかきあげた。
「じいさんの無事は祈るしかねえよ」
硬質な響きを意識した作り声で言う。
ここにかれらをおびき出す罠の可能性は、おそらく、全員が考えただろう。
それならそれで話は早かった。
満身創痍の状態とはいえ、戦力が集中するとあれば逆に一網打尽にしてやれるだけの自信があったからだ。
何しろ、今回は外部者の活躍の甲斐あって、獄寺や山本は無傷に等しい(アパートメントの惨状についてかれらはまだ何も知らない)。
山本と協力できれば、どんな相手であってもどうにでもなる。そう獄寺は信じている。
10年かけて築いた信頼だ。シュラが頼りになる護衛だとしても、山本への信頼感はそうそう覆せない。
指先を染める西日に目を細めて、獄寺は改めて口を開いた。
「今回、政府が非協力的なんでな。
 せっかくDEVGRU上がりのヤンキーどもだってわかったが、残念ながら入管はあてにできねえ。
 でも振込日時と浮浪者失踪事件の日時が特定できりゃ、それ以降から今日までの電力消費量、通信量の変化でかなり絞れるはずだ」
「……何がしてーのかな」
子どものような仕草でハンドルを弄びながら、山本がぽつり言う。
「ボンゴレに用があるみてーだけど。本部にもツナにも、ほかの連中にはなんもしてねーよな。
 連れてこいって言うわりには、扱い粗雑だし」
「雇われただけなんだろ。依頼主がなにをしたいのかなんて、真意を汲んで動く傭兵なんざ50%もいねえよ」
「じゃ、依頼主は何がしてーの?」
山本が顔をあげた。
獄寺は片目をすがめる。
「あの変なバケモンの実験とかしてるんだろ。オレらが邪魔になるかもって思った。それはわかる。
 でもだったらオレら潰そうって――ふつう、そうじゃね?」
「……」
ボンゴレの守護者であるかれらを連行しようとする意図。
「たしかに不自然だな」
軽く握った拳を口元にあてる。
拭いきれない違和感への応えは、意外なところから返った。
「それって、かんがえてわかるもの?」
はっとして振り返れば、いつの間にかデスマスクの隣に座り込んだアフロディーテが口を尖らせている。
「いまここでかんがえなくてはだめなのか?」
早く帰ろう、と暗に言われていることはすぐにわかった。
アフロディーテの繊手は、ところどころに浮かぶデスマスクの青黒い痣に触れている。
大きな瞳が瞬いて、視線を動かしたさきには、おざなりな手当の施されたシュラの腕。
「たいした怪我じゃねえよ」
そう言ったデスマスクがアフロディーテの後頭部を抱き寄せる。
擦り切れたシャツの肩口で、アフロディーテはなおも不満げに
「セブンセンシズ全開で聖衣着てたら、たいしたけがじゃないと思うけど」
「んなこと言ってもどうしようもねえだろ。――ま、さっさと退散して次に備えるってのが吉だと俺も思うがな」
後半はこちらに向けられた言葉だ。
「女の死体はなかった。あのデカブツが回収したんだろ。それに、うちのシュラが隙をつかれるような相手だ。
 向こうさんにやる時間は少ないにこしたこたぁないぞ」
「あれは縮地かテレポートじゃねえか?  だったら出し抜かれたところで仕方ねぇよ」
「……あんた、そういう単語、普通に出てくるか?」
「現にファイヤースターターが出てきたんだ、真性のESPやPKが出てきたところで今更驚くか」
むしろ大歓迎だという言葉は危うく飲み込んだ。TPOはわきまえている。
獄寺の密かな趣味を知らないデスマスクたちにしてみれば、目を丸くするような発言だったが、
山本だけは肩をすくめて、苦笑いで天を仰いだ。
ところが、
「でもな、超能力なんかじゃそいつの目は誤魔化せねぇの」
やけにあっさりとデスマスクが言う。
「時間でも止めたんじゃなけりゃ、たかが超能力ごときに後れを取りゃしねえよ。なあ」
「デス」
「シュラさんよ、そこいら、どうなのよ」
振られた先には、自分のことが話題になっているなど素知らぬ風に表情ひとつ動かさないシュラがいる。
ただその横顔にはいつにも増して剣呑な雰囲気がまとわりつき、無言のまま握り締められた拳が、
かれの心境を語っているようだった。
確信に至らない相手の能力に関して、推論といえども口にはしない。
獄寺たちは超能力者と対峙した。
しかし、山本が襲われた相手は科学的な補助を受けていた。
どちらか一方だと決めつけるには性急だろう。
「獄寺、オレもいったん帰るのに賛成」
エンジン・キーを回して山本が言った。
日本人離れした長い脚で軽々とバイクにまたがり、
「アフロディーテが言ったとーり、今ここで考えたってどーにもなんねーよな。ごめんな?」
謝罪はアフロディーテと獄寺とふたりに向けられる。
「それにさ、どうせオレらを連れてこうってハラなら、またオレらんとこ、来るんじゃね?
万全の体制で迎撃したくね。ハラ減ったし」
能天気な笑みにため息をつく。
考えても始まらないとはいえ、考えることをやめられないのは承知しているだろう。
口では切って捨てたが、フランコの足取りひとつ掴めないことも気がかりだ。
だったら、せめて少しでも落ち着ける場所に――負傷者もいる。
即座に指示できなかったあたり、自分も相当、焦燥しているのかもしれなかった(もし、
山本とデスマスクから戦闘の経緯を正確に伝えられていたらそうではなかっただろうが。
あいにく、かれらの情報伝達は欠陥と作意に満ち、地上6階から生身で放り出された事実など伝わってはいなかった)。
頷きひとつ。運転席のドアに手をかける。
「……山本。もしあの傭兵どもが街中に散ったら問題だ。巡回している部下全員に、匣兵器の携帯、指示しとけ。
 十代目にはオレが許可を取る」
「りょーかい」
「フランコ爺さんっつったか? おまえの部下、顔、わかんのか?」
「んー、たぶん」
「心もとねえな。――まあいい、爺さん見つけたら保護するように言っておけ。ただし、無理はさせるな。
 被害は出さねえ方向で動かせよ」
言いながら、目線でシュラを助手席に招く。
早くも排気音を響かせた山本の背中を確認して、獄寺もセレスピードのエンジンを回した。