The pure and the tainted

12.


「!」
シュラが動いた。
獄寺の身体を抱え、後方へ飛ぶ。
手からライターがこぼれた。
直後、何のアクションもなかったはずのライターが、内包するオイル以上の火力で高々と火を噴きあげたのだ。
「なに!?」
続けざま、宙を舞ったのは、火球。爆ぜる。熱風が肌を叩き付けた。
広い肩がセオリー通りに獄寺を爆発から守る。
ライターが、地面に落下し転がった。
ランダムに宙に現れる火球が小爆発を繰り返す。
それを巧みにかいくぐりながら、シュラが顔をあげた。
「獄寺さん、ダイナマイトは」
「あ、ああ。持ってるぜ」
獄寺にとっては身を守る武器だ。
しかし、
「――おいておくべきでした」
淡々と、短い言葉。
予想などできなかった襲撃だが、言いたいことは、わかる。
身に隠した無数の火薬に飛び火すれば、それだけで、獄寺の身体はばらばらになるだろう。
もしもスモーキン・ボムの爆殺を狙ったのならば、正しい攻撃方法と言わざるを得なかった。
だが、はたして“何”を使った攻撃なのか……?
足もとに火球が落ちた。
シュラが靴底を削る勢いで、移動に急制動をかける。
細身とはいえ、獄寺を抱えたままだ。
ふたりぶんの加速力をこともなげに捌いた体術は感嘆に値する――が、余計なひと言を発する暇はなかった。
獄寺の視界をシュラの背中が覆い隠した。とたん、間近で無数の火球が弾ける。
「!!」
連続する小爆発は、わずかな風圧を獄寺に届けただけだ。
眼前に両腕を交差させただけで、シュラはそれらを受け、防いだ。
「おいっ、」
瞼にちらつくオレンジの光点を振り払いながら顔をあげる。
答えはない。ただ、この位置が攻撃から獄寺を完全に守れるのだと判断したのだろう。シュラの背中は不動だった。
鼻につく化学繊維の焦げる匂い。
わずかに垣間見えた前方。獄寺は目を瞠り、続いて、反射的に手で目を覆った。
速度をあげてとびかかる火球が、ある一点を起点にしていることに気づいたのは、爆風が再び背後に抜けてからだった。
回避行動を取りながら、シュラはそこを探りあてたのだろう。
腕が降りた。作られた手刀は、人間の皮膚でありながら、鍛え抜かれた鋼鉄の刃のような錯覚を与える。
「!!?」
息をつかせず、再びとびかかってきた火球。シュラの手刀が振るわれ――無数のそれらを、叩き落とした。
否、叩き落としたようにしか、見えなかった。
拳圧が宙で炎をかき消しているのだということは、おぼろげながら、理解できた。
“沈静”、いや、“分解”だろうか。かれの手刀は、それに似た効果を生んでいる。
原始的な本能で生物を委縮させる火という武器に、微塵の畏れも見せない。
――しかもオレには火の粉も届かせてねえ。
飛び火すらも撃ち落としているのだ。
状況が状況出なければ称賛したくなるほどの能力だった。
爆煙が薄らぐ。
足もとに舞いあがった砂埃の幕が、ゆっくりと晴れる。
未だ払われない熱気に大気が揺らぐ。その、向こう。
「……女!?」
ピタリ、と炎が熄んだ。
熱気はやがて、短い赤毛に浅黒い肌が印象的な女の姿を結んだ。
ミラノの街を歩くには、いささか野暮でラフな服装が、彼女を外国人だと教えてくれる。
「こんにちは、ゴクデラハヤト」
案の定、吐き出された言葉はネイティヴ特有の崩れた米語だった。
知り合いですか、とシュラが視線をそらさずにこちらに訊く。
首を横に振って、獄寺は顔をあげた。
わずかに横へ。女の顔を見る。
「誰だ、てめえは」
「失礼ね。“女”のつぎは“てめえ”? お綺麗な顔に似合わず、ずいぶん口が悪いじゃない」
女の瞳孔が火のように光る――しかし、それは獄寺を見ることは出来なかった。
シュラが広げた片腕が、ふたりの間を妨げたからだ。
女の表情が盛大に曇る。
「なに、あんた。さっきから邪魔して。アタシはそこのゴクデラハヤトに用があるんだけど」
「――」
「ちょっと! 返事くらいしたら?」
シュラの横顔は女の苛立ちにも少しも動じない。
ややあって
「名乗れ」
鋭利な声音に、女が露骨な不快感を示した。
「あんた――その黒髪、でも日本人じゃないわね。だったら、ボディガードか何か?
 はン、ボンゴレの右腕だか左腕だか知らないけれど、背中にこそこそ隠れなくちゃいけないわけ?
 名前倒れもいいところね」
「守られるだけ、というのにも覚悟は要る。知らないとは片腹痛い」
見た目に惑わされた挑発など求めていないとばかりに、シュラは動かない。
「……いちいちムカつくヤツね。あんたに用はないって言ってるのよ!」
邪魔するな、とヒステリックな叫びがあがったと同時。
何の前触れもなく、シュラの腕が火を噴いた。
瞬時にしてジャケットの袖が燃え尽きる。
「なに!?」
獄寺は目を瞠る。
ファイヤースターター、という単語が脳裏を過った。発火能力者。
人体をものの数秒で焼き尽くす高温の炎を操るその能力は、実在を完全に否定されたわけではない。
驚愕は立て続けに獄寺を襲った。
「――!」
シュラの背中に裂帛の気合がみなぎる。
途端、ぼ、と爆発音をたてて炎がかき消えたのだ。
――あの高温を、嘘だろ!?
「獄寺さん。おれの影から出ないでくれ」
何事もなかったようなシュラの言葉。思わず首肯した獄寺は、同じように呆気にとられた女の顔を見た。
「な――によ、あんた。気持ち悪いわねっ」
「……」
「……まあいいや。いるのよ、ときどき。そういうイカれたやつ」
足もとに唾液を吐き捨てる。
この女も、相当なものだった。それだけで意識を完全に切り替えたのだから。
「まずはあんたを灼き殺してやるっ!」
女の甲高い声が響いた。
それを合図に宙に生まれたのは、炎の槍――そうとしか形容できない、灼熱の物体が無数に生じ、
こちらを目指して一斉に飛びかかってきたのだ!
「!」
横ざまに薙いだ手刀で、空気が切り裂かれる。
幾度動いたのか、もはや視認できない。
気づいたときには、炎は形をなくし、周囲に霧散していた。
「ちっ」
女が舌を打つ。間髪いれず、その足もとに吹き出したのは炎を巻く火柱。
一抱え以上の太さのそれが、数本――大地を嘗めて、一直線にこちらを目指す。
視界が炎の光量に埋め尽くされる。
直後、獄寺の身体はシュラの腕にさらわれ、横ざまに飛ぶ。
その軌道を女は読んでいた。
にやり、と厚い唇が笑う。
同じ方向へ飛び込みながら、女が、新たな火球を放つ。
撃ち落とせるはずのないタイミングだった。
――まさか、シュラが振り上げた足で、それらを叩き落とすとは考えてもいなかっただろう。
腕同様の鋭さを蹴圧に乗せた男は、何食わぬ顔で着地し、再び、獄寺の前に立った。
「ちょっと……、」
女の声と顔が歪む。
「ちょっと、なんなのよ、あんた!?」
「この人の護衛だ」
「は! 護衛ごときが邪魔してんじゃねえよ!!」
「仕事だ」
「アタシも仕事なんだよっ! そいつを連れてこいって言われてんの! 大人しく言うことききゃいいんだよ!」
シュラがこちらを伺う気配を見せた。
獄寺は頷き返した。
「あいにく、招待状は受け取っちゃいねえ。きちんとアポとってもらわねえとな。これでも忙しい身なんだ」
「――だ、そうだ。女、帰って依頼主に伝えろ。女相手に手荒な真似はしたくない」
天然なのか、無意識なのかわからない。
低い声音の台詞は、じゅうぶん挑発行為だということにシュラは気づいていないのだろう。
獄寺でなくとも予想できる通りに、女の全身が逆立った。
「むかつくのよ、そのエセフェミニストみたいな発言ッ!!」
火球が襲いかかる。
数メートルも近づけずに、それは叩き落とされる。
女もわかっていたはずだ。シュラの迎撃動作の隙をついて、回り込む。
――そうか、視認対象が攻撃エリア!
獄寺が悟るより早く、シュラが動く。
女の“視界”に獄寺をさらさないように、最低限最少の動作で、最大に効果のある位置を選ぶ。
残念なことに、眼前の女に、シュラは荷の勝ちすぎる相手だった。
「!!!」
自棄のように撃ち続ける火球。女の息があがっていることは、直ぐに知れた。
「――人間の能力には限りがある。その力、おれには通用せん。あきらめるんだな」
「冗談じゃないわよ!! アタシも仕事なの、そいつ連れてかなきゃ、飯のタネになんないのよッ」
さっさと死ね!――そう叫び、軌道を定めない大小の火球を一気に爆発させる。
網膜に炎が焼き付く。視界が奪われた空隙をついて、女が着ていたジャケットの裾を跳ねあげた。
H&K社製、HK-53、5.56mm。発表当時に「世界最強」とうたわれたSMGが、女の手に握られる。
有効射程400m、毎分700発の威力がふたりを襲う。
完全な不意打ちだった。
舞う土埃、煙幕。
腰だめのフルオートで弾倉1つ分を撃ち切った女は、勝利を確信して笑おうと、口を開けた。
「――!?」
しかし、唇は音を発せなかった。
首筋に感じた刃の感触が女の動きを完全に止めた。
ただの手刀だと、女は知ることはできなかった。
特殊な能力を武器に幾多の戦場を渡り歩いた彼女が、これほど驚愕するのは初めてのことだった。
背筋を冷や汗が流れた。
風が吹く。
硝煙と土埃がぬぐい去られたそこで、女は、獄寺の身体を取り巻く奇妙なリングと、不可視の赤炎を、見た。
盾になっているのだと、瞬時に判断できなかった
「な、」
「――ボンゴレ舐めてんじゃねえぞ、女」
獄寺の細い顎があがる。
シュラの手刀が首に触れた。
女の身体が、糸の切れた操り人形のように、崩れた。
HK-53が空薬莢のうえに落ち、音をたて――