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The pure and the tainted
10.
女が向かったのは、男のいるモニタールームからは離れた、実験棟の応接室だった。
広い敷地だ。足音高く歩きながらまとめた思考は、冷笑のしたに完璧に隠されている。
空気を鳴らして、自動開閉の扉が彼女を室内に呑みこむ。
「――ずいぶん遅かったじゃない」
挨拶もなく、粗野な口調で女に話しかけたのは、窓際に腰を寄せていた年若い女だった。
長い髪を無造作に束ね、不機嫌そうな表情を浮かべている。
「待つのもあなたたちの仕事ではなくて?」
その分の金銭は支払っていると、女はほつれた髪をかきあげる。
室内を見渡す――きっちり、5人。
彼女が雇った相手は、忠実に待機命令を守っていたようだ。
「貴女が来たってことは、出番かな?」
今度は若い男が口を開いた。飄々とした口調に、細い目をさらに細めた笑顔。
「なによ、ようやく? 退屈させてくれてさ」
べつの女の声が続く。吐き捨てるような舌打ち。
燃えるような短い赤毛を乱暴にかきあげた女の肩を、笑顔の青年が嗜めるように叩いた。
「それで、おれたちゃ何をすりゃいいんだ、え?」
単刀直入な言葉は、巌のような声の男が発した。見上げるほどの巨躯だ。
子どもが見たら、恐怖のあまり泣くことも忘れて喪心しかねない凶悪な笑みが浮かんでいる。
女は腕を組む。
「実験の邪魔が入ったわ。捕獲してちょうだい」
「捕獲?」
「そうよ。排除ではなく、捕獲」
室内に疑念が満ちる。
声なき疑問を見事に無視した女は、室内の中央に手にしていた書類を放り投げた。
「対象は、ボンゴレの守護者。聞いたことはあって?」
「マフィアか」
最後の呟きは、どこにいたともわからぬしわがれた老人のものだった。
カウントしていたはずの女でさえ、一瞬、戸惑いを禁じ得ない。
「わざわざわしらが出向くほどのものかね?」
「え、ええ――そうね。マフィアだからといって、馬鹿にしていると痛い目を見るわ。
資料を読んでから判断してちょうだい」
誰ともなくかれらがテーブルに足を寄せ出す。
そこには、先ほど男から引き出した情報のみならず、彼女が“想定しえた”要素も記されている。
読めば、決して侮ることはできないと分かるはずだ。
――こいつらの脳みそが、どこまで優秀かわからないけれど。
心ひそかに侮蔑の言葉を前置きしてから、女は言った。
「動向はすぐに把握できるわ。街中を監視カメラでモニタリングしているから。
そのふたり、確かに捕獲して、つれてくるのよ。ほかは何をしても構わないわ」
「なんで捕獲なのよ。邪魔なら、殺したほうが早いでしょ。
どんなにデカくてもただの組織じゃない。国家と違って、組織なんてのは頭をいくつか潰しゃ身動きできなくなるよ。
そうすりゃ、とうぶん邪魔されないじゃん」
「姉さんの言うとおりだね。僕もそれは訊きたいな」
赤毛の女と、笑顔の青年が立て続けに女を振り向く。
ほかの視線もそれに追随した。
予定されていた質問だ。
女は表情を崩さず、答えた。
「実験に必要だからよ」
それ以上の情報を与える必要はない。
「……」
「時間はないわ。次の実験を開始するまでに仕事を終えるのよ。そのために、わざわざ貴方達を雇ったのだから」
米軍でさえ矯正不可能と匙を投げた凶悪な傭兵たちを畏れたふうもなく見回して、女は踵を返した。
かれらが今まで何人の人間を殺してきたか、戦場で――あるいはそれ以外で、どんな行いを繰り返したか知りながら、
彼女に恐怖の感情は生まれなかった。
かれらは、しょせん“人間が”、“考えられるうる可能性で”つくりあげた“兵器”に過ぎない。
豊かな胸の奥では、高揚感が小波のようにわきたっている。
この日のために歩んできたといってもいい。
今までの苦労を考えれば、まもなく実現するであろう彼女の夢は、なんと間近にあるのだろうか。
手が届くまで、もうすぐだ。
時間をかけて瞬いた女の目に浮かんだ喜悦の表情は、しかし、誰かに気づかれる前に、消えていた。
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