The pure and the tainted

9.


出かけたふたりを見送った後、支度を始めた山本の背に、デスマスクの声が届いた。
「あの別嬪さん、ずいぶん手際がいいもんだ。迷いもしやしねえのな」
振り返れば、かれはわがもの顔でソファにふんぞり返りながら、先ほどの悲壮感はどこへやら、
いつもの人の悪い片笑みを浮かべている。
隣のアフロディーテは、その肩口にちいさな頭を寄せて眠そうにしている。
「指揮慣れしてるってのか? さすがボンゴレ十代目の右腕」
「ま、な。まえは自分も前線派だったけど。なんだっけ、適材適所?
 しかもさ、どこにどーすればどーなるかって動線も把握してっから、こういうのは速いぜ」
市街地に厳戒態勢を敷き、市民をパニックにしないように情報操作も怠らない。
とうぜん、自分たちの組織の何たるかも熟知しているため、そこに至る配慮を欠かすこともない。
「自分で何もかもしなくちゃなんねーって意気込んでた時期もあったけど、人に任せることも覚えたし。
 すげーだろ、オレの恋人」
「ここで惚気るお前もたいがいすげぇけどな」
「そっか?」
山本は首を傾げる。
茶化すように言うデスマスクだが、実際、ことあるごとに恋人と幼馴染を自慢のタネにしていることを、山本は知っていた。
そうでなければ前知識などインプットされなかった。
容量のほとんど大半を「獄寺」というフォルダに振り分けている彼は、さまざまな情報をストックしておけるほど器用ではなかった。
へへ、とちいさく笑った山本は、鼻先を掻いて壁に立てかけていた刀を掴む。
「でも、獄寺すごすぎてさ、オレの頭いっつも追いつかねー。何しに役所に行くのかもさっぱりわかんねーし」
「そりゃあれだ、ヘリ飛んでただろ。お役所で航空管制記録調べられる――ま、いいじゃねぇか。
 指揮する側からしたら、疑問もなく動く手足のが便利なんだぜ?」
「そんなもん?」
「そんなもんだろ。グダグダ考えられんのは面倒だぞ。詮索されたり、疑われたり、要らねえ意見をされたりな」
小悪党全開の忍び笑い。
「挙句に意志の統一もできてねえとくりゃ、最悪だ。
 ――ボンゴレって組織がこんだけうまく立ち回ってるのもわかるわな」
なあ、とアフロディーテの髪をかきまぜる。
驚異的な美貌をぼんやりと弛緩させたままのアフロディーテは、それを理解しているのかいないのか、
どちらともつかない風情で首を傾げた。そして、
「うまくたちまわってるのに、なんでシュラが行かなくちゃいけないのだ?」
「そりゃ……あれだ。兵隊には限りがある。
 狭いとはいえ、ミラノ中、警戒しなくちゃいけねえなら、手数だって尽きるわな」
「ふうん」
「ま、アイツが優秀だって認められたって思っとけ」
相変わらず表情の判別がつかない首肯で返したアフロディーテに反して、山本はどこか釈然としない。
獄寺の傍に、信頼に足る護衛がつくのは、安心だ。
けれど、身内以外に対してあそこまでの信頼を見せられると、複雑な心境になる。
――こんな状況でやきもちとか、馬鹿みてー。
こっそりと浮かんだ自嘲の笑みを押し隠しつつ、山本は改めてふたりを振り返る。
「じゃ、オレ、行くけど。なんか出しとくといいもんとかある?」
「! わたし、パソコン使っていい?」
「ああ、いーぜ。そっちのデスクトップなら、仕事に使ってねーから」
「ん!」
とたんに笑顔になったアフロディーテが、裸足の足をぱたぱたと鳴らして小走りに移動する。
ややあって、何かに気づいたのか、豪奢な金髪がくるりとこちらを向いた。
濃く長い睫毛が、音を立てて数度、瞬く。
「タケシ」
「え――なに?」
「ちょっとまって」
間近に華奢な人影が近づく。
美貌に気を取られていたが、案外、背が高い。獄寺よりは長身だろう。
スヴェンスカ――ゲルマンの血がなせる業か。華奢に見えた体つきも、ほっそりとはしているが、決して脆弱ではないことに気づく。
つい数時間前にタンデムシートに乗せたと言うのに、いまさら気づくあたり、おかしかった。
それほど直視できていなかったのだろう。無理もない。
伸びて来た指先も、漂う薔薇の香気も、まぼろしのようにさえ思えた。ごくでら、と胸中で呪文のように名前を唱える。
頬に冷たい何かが触れた、と思った瞬間、体内に何かが流れ込んだ。
洗い流された、とでもいえばいいのだろうか。
すっと、つかえが下りたように、血流がわずかな爽快感を覚える。
「毒をぬいた」
「えっと」
「少しらくになると思う。なった?」
覗きこんでくる双眸にそれどころではなかったが、アフロディーテが言うのならば、きっとそうなのだろう。
漠然と頷いた山本は、礼を言って靴に足を通した。
玄関の扉が閉まる。
駐車場につくころには、意識もはっきりするだろう(と、思いたい)。
足音が遠ざかってから、アフロディーテはくるりと振り返る。その心はすでにパソコンに向かっていた。
「ロディ、あんまからかうんじゃねーぞ」
「からかってない」
「ふっらふらだったじゃねーか、タケシ」
呆れたように言うデスマスクに、なぜかアフロディーテは上機嫌な鼻歌で返す。
ちょうしっぱずれもいいところだ。もう十何年も昔、教えてもらった歌だと気づくまで時間がかかった。
獄寺に対する意趣返しのようなもの、と分かったのは付き合いの長さからだ。
ふだん、滅多に所有欲など見せないアフロディーテは、ときどき、奇妙なタイミングで嫉妬心を抱く。
パソコンの前に座ったアフロディーテの背中からは、そんな気配は微塵も感じられなかったが。
「デス、スレタイかんがえて」
「あ?」
「聖域ちゃんねる。実況したいのだ」
「やめとけ、バカ魚」
「えー」
「“【化け物】まひあと共闘することになったった\(^o^)/」【来襲】”とかマジでやめろよ。
 なにやってんだって大騒ぎになりかねねぇ。捜索なんてされたらたまらねえよ。
 なんのために小宇宙おさえおさえ暮らしてんのか、ちったぁ考えろや」
「……ぶーぶー」
口先だけで不平を述べるアフロディーテに、デスマスクがひらひらと片手を閃かせ、立ち上がる。
「――デスも出かける?」
「おう。留守番しとけ」
「……ここにいろって言われた」
「用があんだよ。いいじゃねえか、出るななんて一言も言われてねえだろ」
「……」
「ソレ、ROMるだけにしろ。履歴は消せよ。ツイートするときは、こっちでやれ」
ぽん、と放り投げられたスマートフォンに、アフロディーテの顔が輝く。
聖域にいても、こちらに来てからも、絶賛引きこもりニート生活を満喫中のアフロディーテから、
唯一の楽しみを取り上げる気はない。
というか、取りあげた瞬間に不機嫌の絶頂に達し、ふらりと消えてしまうことさえあり得るから、油断はならない。
……本来、世界のどこにいても、かれらを発見できてしまう小宇宙を使わなかったとして、
WWWに接続している時点で居場所が露見してしまうことなど、含み済みだ。
かれらが守るべき「掟」という言葉をあっさり無視できるデスマスクやアフロディーテにとって、
小宇宙云々は、あくまでも気休めでしかない。
だが、そうでもしなければ、わざわざこの国で手に入れた自由は返上になる。つくづく不便な出自だ。うんざりする。
「シュラかタケシ以外の電話は取るなよ」
アフロディーテの頷きを確かめる間もなく、デスマスクは外に向かった。
姿が消えたあと、自然と鍵が降りてチェーンがかけられても、アフロディーテは驚きもしない。
椅子のうえに膝を抱えてマウスに手を伸ばしたアフロディーテは、艶やかな唇をちいさくとがらせ、
「……せっかくじゆうに暮らしているのに」
ふたりのばか、と呟いてから、ぼんやりとした眼差しをディスプレイに向けた。