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The pure and the tainted
6.
無数のモニターの3/4ほどに走るノイズを眺めていた男が、おもむろに、目の前のデスクを叩き付けた。
「なんということだ!」
がらがらに嗄れた声が、言葉通りの胸中を良く示す。
「まるで成果が分からなかった――これでは実験の意味すらないではないか!」
男の怒気に呼応して、室内に緊張が走る。
窓ひとつない無機質な部屋は、明らかにこの男が支配する空間だった。
「巨額の投資をしてこのざまか。一体どう説明してくれる気かね!?」
「……」
男の背後で、ノイズを発していたモニターが順に消えていく。
生きている数少ないそれは、ナヴィリオ運河に添って走る路面電車を、
あるいはチェントロに吸い込まれていく人並みを、上空から映し出している。
一大経済都市とはいえ、狭い街だ。
その気になればミラノ全域に渡って監視できることを、室内にいる誰もが理解している。
壁際で武装する男たちは、主の怒りをおそれ、僅かに目を伏せた。
ややあって。
「……ご懸念には及びませんわ」
低い女のこえが、男に答える。
中央にある男のデスクとやや離れた位置で、さまざまな機器の囲いの中から出て来た女は、
唯一、男を恐れず、流暢な米語で言葉を紡いだ。
「もともと完成品ではありません。試作品による実験だと申し上げているはずです。
データはじゅうぶんに取れました」
「試作品だと?」
淡々とした女の表情に、男が露骨な侮蔑の意図で、鼻を鳴らした。
「今朝の段階で、ほぼ完成に等しい、と言っていたのは君だったと思うがね」
「想定できうる範囲内では、完成に等しい結果を残しておりますわ」
スピード、パワー、耐久性、痛覚、体幹――女の脳内には、幾多にも渡る項目が瞬時に羅列されている。
不愉快な音をたてて、室内のモニターが一斉に電源を落とした。
女の指先が、手元のコンソールを繰ったことなど、男にはわかっている。
気が散る、とでも言いたいのだろう。
ビジネスパートナーとして関係を結んでから、男は、この女の神経質さがいちいち癇に障っていた。
「試作段階で、想定外の要素が出現することは却って喜ばしいことでしてよ?
未完成だからこそ、改良の余地は大きいのですもの」
「大きいどころではないと思うのは私だけかね」
「――どうでしょう」
思わせぶりに答えた女が瞼を閉じる。
思考を伺わせる時間をおいて、彼女は、
「武装した軍隊相手ならいざしらず、たしかに、たかが市井に暮らす人間ごときが太刀打ちできた、
ということに関しては、憂慮すべき問題だとわたくしも思いますわ。
けれどその点に関しては、そちらが提供してくださった情報に欠陥があった、からではありませんの?」
「――!」
「レオパルト1の51口径105mmライフル、アリエテの滑空砲、パンツァーファウスト……理論上、
それら火器の耐久事件も成功しております。
チェンタウロ程度の装甲でしたら、突き破る膂力と火力も持ち合わせています。ご存知だとは思いますけれど」
暗にイタリア軍の装備など役に立たないものだ、と言われた錯覚にとらわれ、男は拳を握る。
祖国を謗られることほど、堪え難い侮辱はない。高いドーム状の天井が、一瞬の沈黙を吸い込んだ。
畳み掛けるように女の視線が男を向く。
「そうした武装を上回る能力を持った相手、しかも個人の存在を、あなたはわたくしに仰ってくださったかしら?」
女の表情は動かない。
「どちらか一方に不具合が生じても、一方で成果を得られるように実験場の選定はお願いしたはずですけれど。
そこまで担うべきでしたかしら? こちらに来て日の浅いわたくしが」
「……そこまで、とは思わなかったのだ」
嫌味を含んだ女の言葉に視線を逸らし、苦し紛れに男は答えた。
「たしかに、ミラノは二重支配にある。国家と――国家とはべつの、独立した組織のものだ。
邪魔が入るとすれば彼らしかありえんが……」
しかし、それですらたかがコーサ・ノストラの後継に過ぎないと、男は、たしかに高をくくっていた。
まさかランダムに選出した区画のそれぞれ同時に、
実験の妨害となるであろう唯一の懸念――ボンゴレの守護者が存在していることなど、想定しきれなかった。
不出来な生徒の言い訳を聞く教師のような面持ちで、女が、頷く。
「結構ですわ。では、そのボンゴレという組織の情報をください。
実験は個体性能と、集団性能を見る2段階のフェーズで設定しています。
つぎの第2フェーズの実験を成功させるため、わたくしの方で対処いたします」
「ま――待て。なにをする気だ」
「実験の成功率をあげるだけです。ほかに何がありまして?」
「それは……」
男は押し黙る。
イタリアに生まれ、住んでいれば、マフィアの結束力の強さを知らぬ者はない。
国内で万が一、マフィアが全面戦争を決意すればどうなるか――幼少時の記憶が想起され、男に返事を躊躇させた。
みずからの知りえない範囲での破壊には躊躇なく、自分の手の内にある危険に大しては敏感に反応する――
完成された器とはほど遠い男の心境の表れに、女の口元が冷笑を浮かべた。
どこか自嘲的にも見えたその分だけ、男より、女は自分を理解している、といってもいい。
「ご安心なさって。いたずらに抗争を勃発させるつもりはありません。平和が尊いことはよく存じ上げておりますもの」
「――」
「けれど、実験は成功させなくては。お客様もお待ちでしょう。
そのために――障害物に対処します。相応しい人材をもって」
女が、仰々しく一礼した。
踵を返す。
ヒールの音をが無機質な床に響いた。
女の去り際、
――やっと会えた。
そんなつぶやきが聞こえた気がして、男は、しばし自らの地位を忘れ、混乱の面持ちを浮かべた。
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