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The pure and the tainted
4.
『ごくでら、悪い、ちょっとお願いあんだけど』
通話を許可した途端、流れ出したのは山本の声だった。
いつもなら能天気なまでに明るい声音が、なぜか、戸惑いに満ちていた。
耳にあてたスマートフォンを僅かに離して、獄寺は、目線でふたりに挨拶を告げる。
踵を返す視界で、黙礼したシュラがデスマスクを促す姿を見送る。
そして
「いきなりどうした。トラブルか?」
『んー、トラブルっつーか。トラブルっちゃ、トラブルなんだけど』
「んな説明でわかるか、馬鹿。きちんと説明しやがれ」
山本の歯切れは悪く、要領を得ない。
たしかに、物事を説明する、という能力においてはとことん枯渇している男だが、ここまでひどいのは久しぶりだ。
まさか大事が出来したのではないか。
よりによって非番の日に――思わず舌打ちする。
「いいから少し落ち着け。何があった」
『何があったって……説明してーんだけど。オレも何がなんだかでさ』
「――」
『そんで、それは帰ってきてから話すから』
「帰ってからで間に合うんだな?」
『たぶん』
「……おい」
さすがに危急ではない、と思いたい。
そうした勘に関して、山本は信頼できる男のはずだ。
首を振って溜息を吐いた獄寺は、開いた腕の時計で時間を確認する。
「とりあえず、用済ませたら帰る。それまでに頭んなか整理しとけ」
『助かる。――あーと、でも、そのまえにふたつ、頼まれてくれね?』
ほっとしたような口調に慌ててつけ足される。
ふたつかよ、と口中に呟いて先を促す。
『まずひとつめ、ちょっとひとり、連れて帰ってっけど、どうしようもなくだから勘弁してな』
「ぁあ? 誰をだよ」
『いや、マジで一時的に保護ってやつで』
何をそんなに言い訳がましくしているのか、焦ったような山本の姿が目に浮かぶ。
ふたりで暮らすアパートメントに、他人を招くことなど滅多になかった。
だからといって、のべつ幕なし誰も彼をも拒むつもりはない。
ただ、自分のテリトリーに第三者が踏み込むことを善しとしないだけで、
TPOを考えられないほど頭が固い、とは自分では思っていない。
何よりも、いま、電話越しで山本に的確な説明を求めたところでらちは明かないだろう。
もういい、と前置きして了解を告げる。
「わかった。言い訳も後で聞く。――で、もうひとつは」
『あのさ、ちょっと連絡とって欲しいやつがいんだ。ちょっと番号わかんなくて。お前なら知ってるかなって』
「はあ。誰だよ」
『あいつ。デスんとこの――シュラ、だっけ』
回線の向こうで、誰かに確認する気配。
小さく聞こえたのは肯定の返答だ。
『知ってる? 番号』
「ああ――ってか、さっきそこで会ったぜ?」
『まじで! 良かったな、アフロディーテ。直ぐに捕まるって』
アフロディーテときた。
思わず、獄寺は耳元から放したスマートフォンを正面から眺めてしまった。
通話を示すディスプレイの表示。
ついつい眇めた視線で、一瞬、通話を切ってやろうかという誘惑に耐える。
振り返れば、つい数十秒前に見送ったふたりの背中は、未だ街路に見えた。
『ごくでら、聞こえてる? ごくでらー』
上空を過るヘリの生み出すノイズに、山本の大声が負けじと重なる。
静粛性を無視したロートルなプロペラ音を、一度、見上げてから、
「……うるせえな、聞こえてるっての。シュラ、呼べばいいんだな?」
『頼む。アフロディーテがさ、番号わかんねーって。あ、携帯、壊れちまって。
デスのはかけたら電源入ってなくてさ』
アフロディーテ、という御大層な名前の女(だろう、名前からして)が、
シュラと連絡を取りたがっている、という解釈で正しいだろう。
まったく、いちいち馬鹿の相手は疲れる。
ことさら苛立ちで繰り返した舌打ちは、決して、嫉妬から生まれたものではない、と思いたい。
弁解の言葉に女の名前を重ねて聞かされた獄寺の気分は、本人が考えているほど冷静ではなかったのだが。
とにかく、電話を切ってかけ直すよりも、この距離ならば走った方が早いと踏んで、獄寺は小走りに道を進んだ。
遠のいていく後ろ姿を目指しながら、
「ったく、オレはパシリじゃねえっつーの」
『ほんっと悪い。あ、それと、ごくでら、もいっこあんだけど』
「なんだよっ」
『ひとりになんねーで。出来れば、人通り選んであるいて。考えすぎかもしんねーんだけど、ほんと、念のため』
何を言い出すのか――歩調が緩みかけた瞬間、上空のプロペラ音が、ひときわ騒音を醸して高度を下げ始めた。
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