The pure and the tainted

3.

サンタンドレア通りは世界屈指のラグジュアリー・ショッピングエリアと呼ばれている。
曜日を問わず、常に買い物客が往来し、
たとえば、観光客であれば一念発起の形相でつらなるショーウィンドウをねめまわし、常連は澄ました顔で踵を鳴らして闊歩する。
整然と整えられた通りを、そうしたひとびとを横目に歩く獄寺は、どちらかといえば、常連の部類に入るはずだ。
観光客のみならず、審美眼の越えた通りの住人たちでさえ振り返る端正な横顔に迷いの欠片も浮かべず、目的の店を目指す。
非番であることの証左は、今年の初めに秋用に買った白いコート姿。
今朝も冷えた。今日、山本は出勤している。
月始めの集金の際に金をそろえられなかった下町の住人たちに様子を伺うといって、まだ獄寺がベッドの住人になっている時間に、家を出た。
最近、浮浪者が行方不明になる事件が多発している。
珍しく、山本が熱心になっているのは、低所得者の住居が連なるあの区画を気にかけているからだろう。
―――あいつ、コートくらい着てったんだろうな。
残念ながら、睡魔を引きはがせなかった獄寺の記憶に、山本の服装は確認できなかった。
――バイクなんだから早めに防寒させねぇと。
視界の隅にちらつくショーウィンドウ越しのマネキンを見送りながら、漫然と思う。
リサイズを頼んだ指輪が仕上がる日だ。
少し前に雑誌で見たそれに心惹かれ、購入を即決した。
「それじゃ指、重そうだぜ」
と、山本は苦笑したが、どことなく宇宙と交信できそうな不可思議なモチーフの彫金は、
獄寺の好みにジャストミートしている。
まんまと手に入れられた限定品。リサイズを請け負ったショップの担当者も気心が良く、
めずらしく、獄寺は上機嫌に浮かれていた。
――機嫌がいいからアイツの衣服にまで気ぃ回してやってんだ。
咳払い。
胸中の言葉を聞く者などいないというのに、どうしても、自分で言い訳をせずにいられないのは、性分だ。
ボンゴレ十代目の右腕。鉄壁で、冷静で、すべてにおいてパーフェクト。
そう振舞えば振舞うほど、自分に課題を課しているということに、そろそろ、獄寺本人も気づいてはいるのだが。
誰に向けてでもなく口端にちいさな苦笑を浮かべた獄寺は、不意に、視界に飛び込んできた人影に歩調を緩めた。
「ああ?」
片目を眇めて確認する。
山本に似通った長身の後ろ姿。ひとりは黒髪。もうひとりは、獄寺の髪にも似た白銀の髪の持ち主だ。
一本芯の通ったような背筋の黒髪と、その隣であからさまに柄の悪い白銀の髪は、
驚異的なまでにこの通りには似合わない2人組だった。
よく見れば、それぞれが異なる男らしい容貌を持ち、黙って立っていれば、決して違和感などないはずである。
むしろイタリア娘なら放っておかないレベルにはあるだろう。
ところが、よりによって大の男がふたり、口論しながら歩いているのだから、
観光客が数メートル離れて遠巻きにするのは当然ともいえた。
知名度の割に狭い歩道をはみ出して出来る追い越し車線にも気付かない様子で、ふたりは剣呑な雰囲気を醸し出している。
「だから! てめぇはなんだってそうほいほいロディの言うこと聞いちまうわけ!?
 あいつの『あれ買って』『これ買って』に付き合ってたらキリがねぇってのは分かってることじゃねえか。
 算数もできねえのか? 阿呆か? うちの家計をなんだと思ってやがる!」
「ふざけるな。おまえが言い出したことだろう。
 あんなくだらない賭けをしなければ、こんなことにならなかったはずだ」
「はあ? 責任転嫁って言葉知ってんのか、てめぇ。
 実直そうなツラしやがって、これだから脳筋野郎は手に負えねえんだよ。
 あーあー、正義だの勇気だの学ぶ前に、数の数え方くらい勉強したらどうなんだっつうの」
「責任うんぬんを貴様が言う資格などない。図々しいにもほどがある」
早口の汚いイタリア語。それに答える、押し殺した声には良く聞けばスペイン訛り。
「シュラ――?」
仕事の付き合いで見知ったスパニッシュの名を呟き、獄寺は足を止める。
口論をしながら歩く2人は、広いリーチの割に距離を進まない。
このままいけば、確実に追いついてしまうだろう。
しかし。
獄寺は口元を覆って考え込んだ。
知り合い、だと思われて問題ないものなのだろうか、どうか。
この通りには行きつけたショップも多い。
妙な噂がたってしまっては、次回から顔を出し辛くなる、かもしれない。
躊躇は直ぐに終わった。
かれらが目立つように、獄寺も一際だって目立つのだ。
声をかけるより早く、向こうが獄寺の存在に気づいたとしても不思議はなかった。
眼光の鋭い眼差しが、こちらに気づき固定される。
途端に閉ざされる口元。
隣の男も開きかけた口を閉ざし、まるで無言の合図でもあったかのごとく、ふたり、ぴたりと足を止め、寸分狂わずに振り向いたのだから、これは諦めるしかない。
平然と、冷静に。どうせ親しすぎるというほどの関係でもないのだ。
意を決した獄寺は、軽く片手を閃かせて、待ちかまえる(わけではないが)ふたりのもとに近づいた。
「よお。珍しいところで会うな」
素知らぬ顔で挨拶――成功だ。
シュラが表情を消して黙礼する横で、連れの男が軽く眉をあげた。
続くのは、尻あがりな口笛。相好を崩した片笑みは獄寺の感性には“下品”のラインに引っかかる。
下手に触れば不快な思いをすることは間違いない。何しろ、この国の男たちは軒並み脳みそが茹であがっている。隙を見せれば声をかけてくることなど承知のうえだ。生粋のイタリア人だろう男を無視して、獄寺はあげた片手を下ろす。
「こんなところで会うとは思わなかったぜ。買い物か?」
「ええ――まあ、そうです」
「仕事中じゃねえんだ、そんな片っ苦しくならねぇでいいんだぜ」
はい、とあくまで生真面目な返事。
信頼のおける相手だが、どうにも調子が狂うと思うのは、スパニッシュのくせに寡黙、という相反する特性の所為だろう。
もちろん、どの国にだって何千、何万という国民がいる。
全員が全員、国民性のステロタイプだというわけではないのだが。
何しろ、獄寺自身もクォーターとはいえ、国籍はイタリアだ。
「らしくねーの」と、あますところなどなく知っている恋人にさえ揶揄される。
そしてかれを揶揄する当の山本も、日本人としては規格外だ。
続かない会話に気まずい沈黙が生まれる寸前、見計らったかのようにもうひとりが口を開く。
「おい、シュラ。おまえ、やっぱり隅に置けねぇな。こんな別嬪いつの間に知り合ったんだ? 紹介しろよ」
「黙ってろ――すみません、獄寺さん。この男が失礼を」
「ああ、気にしてねぇよ」
構わないでくれ、と鉄壁の演技力で首肯すれば、もうひとりは「お」と間の抜けた声で表情を変えた。
途端に、視線が観察眼に変わる。長い手指が顎を撫でた。
――意外に骨太い。殴りなれた拳だ、と、獄寺も視線に観察の意図を載せる。
ふう、とシュラがちいさく息を吐く。そして、
「獄寺さん、これは――その、何と言えばいいのか」
「家主、もしくは百歩譲って同居人でいいじゃねえか。
 ――あんた、獄寺隼人だろ。噂は聞いてるぜ。いつもうちのが世話になってるようで」
しどろもどろの言葉尻を継いで、早口でまくしたてられる。
幼馴染と恋人と同居している――そう聞いた言葉を思い出さなければ、伸ばされる片手を取ろうとは思わなかった。
男が笑みを深める。
「デスって呼んでくれ。そう呼ばれてる」
「知ってる。――うちのが世話に、ってぇのは、オレも言うべき台詞だな」
「そんなこたぁねえよ。タケシは上客。そのおかげで、俺らみてぇな溝板暮らしもあぶく銭に頼らず暮らせてんだ」
いちいち粗野な言い回しに、シュラが眉間を押さえて溜息を吐いた。
デス――そういえば、その名も山本から聞いていた。
下町の一角でエノテーカを開いている男。ただの酒場の主ではない。
手配師として、人材のマッチングを行っていることは、ボンゴレをはじめとしたマフィアの世界では有名な話だった。
デスマスク、というらしい、と聞いたとき、ふざけた名前の野郎だな、と獄寺は思った。
「いい加減そうだけど、まじで顔ひれーし、けっこういいやつだぜ」
山本がそう評価していなければ、記憶の歯牙にもかけなかっただろう。能力的なものだけでない。
何しろ、“いい加減”を絵に描いた山本がそこまで言うのだから、どんな男かと思っていたのだ。
概ね想像通り、と結論付けた獄寺は、極めて社交的なタイミングで手を戻した。
「獄寺さんも買い物ですか」
面白味のかけらもないが、いっそ清々しいまでの直線さでシュラが間を継ぐ。
ひどく剣呑に口論をしていたように見えたが、同居するほどの幼馴染、というだけはあるようだ。お互いの呼吸の計り方が違った。
たとえば、戦闘の場に山本とともに立ったときの自分たちのそれのようなものだ。
あの呼吸は、極限状態にあるからこそ発揮されるものだと思っていたが、認識を改める必要がありそうだ。
あるいは「日常」という言葉の捉え方の相違かもしれない。
考察が先行し、返答のタイミングが遅れる。
慌てて視線をあげた獄寺は、
「まあそんなところだ」
「休みを取られたんですか」
「オレとしちゃ、山ほど積み上がった書類を放置したくはなかったんだが。
 休めって十代目も仰って下さったんでな」
「息抜きの時間は必要だ。ゆっくりされてください」
適宜な言葉量で、それとなく送別を促す流れ。
たしかにころ合いだ。そろそろ視線の集積過多を感じる。
受けた合図に了承を返し、自らも言葉を紡ごうとした瞬間――携帯電話が、着信を告げた。