The pure and the tainted

2.

「!!」
破壊音が響く。
石壁と木枠が同時に砕ける。
薔薇の香りをかき消そうとでもいうように、たちこめたのは埃塵だ。一瞬、視界が奪われる。
着地した膝立ちで、山本は背負った刀に手をかけた。
恐ろしいほど上空から、ピンポイントでここに飛び込んできたモノ。
家屋を半壊させた埃の煙幕の向こうで、揺らぐのはいびつな影。
背後に一瞥をくれれば、埃に口元を押さえた麗人の姿だ。
「隠れてろ!」
鋭く飛ばした声の効果を見守ることはできなかった。
視界に揺らいだ影が、にわかに攻撃態勢を整えたのだ。
ひゅん、と空気が鳴った。
細い呼気、間髪入れず抜刀。磨き上げられた刀身に咬み合ったのが、鋭い鈎爪だと信じるのには、わずかな時間が必要だった。
――重い!
手首にかかる重圧。この間合い、タイミングでこんな強打を生むのは不可能なはずだ。
生臭い吐息が顔を打つ。
「な!?」
眼前間近に見たそれに、山本は、思わず目を見開いた。
瞼のない充血した眼球。いやに付きだした鼻梁と頬骨。つぶれたような唇。巨大な犬歯を剥きだす、その口。
「こいつっ、」
があああああ、と挑発的な音声がそれの喉から漏れた。
耳まで裂けた大きな口から、音とともに濁った液体が尾を引いた。
刃で受け止めた鈎爪に、一瞬、力が失せる。
来る、と咄嗟に手首を返した瞬間、伸ばされた首、長大な牙が山本を襲った。
肉食獣の動きに似たそれを峰で叩き返せば、あり得ない摩擦熱が閃く。
相殺された力の残滓を頼りに後方に体重を引く。
鈎爪が山本の残像を切り裂いた。
――こいつは……
二足歩行。固そうな皮膚。辛うじて肌にまとわりつく衣服。
人間の“なれの果て”に見えるのは思い違いだろうか。
過去、匣兵器と肉体を融合させた敵と対峙したこともある。
けれど、それとは何かが違う。
床石を踏み砕く一歩。ふりかぶった膂力が生み出す衝撃で、真っ向の威力がうかがえる。
一撃一撃のスピード、重さは人間に生み出せるものとは思えない。
身長が伸びすぎてしまった所為で、屋内で刃を振いきれない山本は、舌打ちをひとつ。
カウンターの奥にこの化け物が向かわないように、誘導しながら攻撃を流す。
天井から土埃が舞い落ちる。
「!!」
めくら滅法とも言うべき軌道で交互に振られる両手が空気を切り裂く。
大きく波打った首、牙が山本の喉元を狙っていると知った瞬間、山本は手首に力を固定したまま、身を沈めた。
刃が牙とかみ合った衝撃を感じた瞬間、体重を足に乗せる。
それの腹部めがけて、蹴り。同時に動いた手首は、柄の部分でそれの顎を捉え、蹴りの勢いを補助させる。
後方に押しのけられたそれは、両足で床に耳障りな音をたてた。態勢は直ぐに整えられる。
だが動きには知性的な調和はない。
振り上げた片足が足場を知覚した瞬間に、山本は床を蹴って刀を横ざまに一薙いだ。
もはや廃品と化した調度を刃先に感じながら、剣撃とともに身を飛びこませる。
一撃目の剣風が受け止められることは、直感していた――まさか、
目に見えないそれを片手で握りこむなどとは思えなかったまでも、山本の勘は的中したようだ。
――頭足りねーんなら、意表をつくのが一番、だろ!
胸中で呟く。
「時雨蒼燕流五の型、」
ダミーの中段斬りに、狙い通り、それは見事に反応した。
「五月雨!」
一瞬の間に持ち手を替える刀。
守りの態勢が間に合うはずはない。刃に食い込む肉の手応え。
思った以上に軽い重さが、刀身を通じて山本へと伝わる。
「……まだ、だよ」
その声は絶妙なタイミングで耳に忍び込んできた。
力をこめて刀を引き戻し、山本はそれと距離を取った。
内臓がはみ出るほどの斬撃を食らいながら、ぐらりと揺らいだはずの影がゆっくりと立ち上がる。
「な――んだ、こいつ!?」
ひゅーひゅーと不気味な音を洩らす口元が、にた、と笑みを象った。
「マジで!?」
液体が気化する音。立ち上る白煙。
驚異的な再生力で、山本から受けた傷が癒えていく様。
不意に、山本のすぐ傍らに得も言えぬ薔薇の香り。
「――首を落としてみるといい」
淡々と紡がれる声にはっとして振り向けば、宝石のように冷たい双眸で、まっすぐに“それ”を射抜く横顔があった。
その顔に、いつまでも見惚れていたいと本能が告げる。
しかし、それを許さない状況だということは、同じくらいの強さで本能が示した。
「君にできるか」
問われ、
「そりゃ――やろうと思えば」
「一刀で振り抜け」
「って、そうはいうけどさ、あんた」
「アフロディーテ。あんた、ではないよ」
危機感をぬぐい去るほどの冷静さは、先ほどまで、寝惚けて舌足らずだった本人とは思えない。
「わたしが足を止める」
え、と訊き返すほど、山本の戦士としての本能は衰えていなかった。
薔薇の香気がむせかえるほど強くなる。
アフロディーテの左手があがった。
その速度も力強さも伺わせない優美な動き。
完全に再生した傷を確かめたそれが、大きく遠吠えた。それに被さるのは、朱唇から洩れるちいさな声。
「――ピラニアン・ローズ」
――ボンゴレ二大剣豪といわれる山本の動体視力を持っても、次の一瞬を視覚でとらえることは不可能だった。
アフロディーテの白い指先がちいさく動いたと同時に、宙に生まれた無数の黒い薔薇。
手を抜いた静止画のコマ送りにも似て、黒薔薇は、またたく間にそれの皮膚を貫き、全身を縫いとめた。
肌が泡立つ奇声は苦鳴だろうか。
――いまだ!
全身をのけぞらせたそれに向けて、山本は再び、刀を構えた。
隣にいたはずのアフロディーテは、いつの間にか間合いの外にいる。
小手先は必要ない。
下段から、遠心力に全体重を載せる。
「――!!」
ごとり、と重い音が響いた。
転がることもなく、亀裂の入った床石の上に首が落ちる。
支えを失くしたように、身体が後ろざまに飛び、倒れ込む。
薔薇が生み出した威力は、その勢いで知れた。
1秒、2秒……
倒れたそれを凝視して数える数秒。
ややあって身を起こした山本は、ようやく、吐息をひとつ、ついた。
周囲を見回せば、見る影もない惨状だ。
「うわ、ひでー」
半ばを削り取られた家屋には、真っ直ぐに太陽が降り注いでいる。
半身を開き、呼吸を整えてから背後を振り返る。
「サンキューな、アフロディーテ。助かったぜ」
「君も」
「怪我とか、ねえ?」
「ん。してない」
意を決して視線を送った麗人は、数秒前の姿が別人のようなゆるい仕草で首肯した。
それを残念だ、と思ってしまうのは仕方ない。
けれど同時に安堵するのも、また、仕方のないことだった。
刀の柄尻でこめかみあたりをかきながら、山本は苦笑する。
「さて……と。どーすっかな、これ」
とりあえず、調査班を呼ぶ必要はあるだろうが。
肩越しに投げた視線は、陽光の下で活動を止めたそれを伺う。
「あ」
と間抜けな声を洩らしたのはどちらだったのだろうか。
質量のある肉が焦げた音を聞いたことが原因には違いない。
「!」
その場に倒れていた首と身体から、数条の煙が立ち上った。
見守るふたりの目の前で、
白煙と化し、宙に消えるまで数秒――思わず、視線を交わした山本とアフロディーテは、
しばらく、言葉を失くして、その場で佇んだ。